中山恒夫『標準ラテン文法』(白水社、1987 年) 第 9 課と第 10 課の解答例。同じ著者による解答つきの『ラテン語練習問題集』(白水社、1995 年、新装版 2009 年) と共通する文が見つかっている場合はその箇所を指摘している。いよいよややこしい文が増えてきているが、このあたりまで来てやはり『標準』が難しすぎると感じる人は、さきに『問題集』に戻ってもしくは並行して進めるのもよい選択であろう。著者が同じなので用語法も本書と共通している点もおすすめの理由である。
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第 9 課
§44 練習
clārus : 比 clārior, clārius; 最 clārissimus, clārissima, clārissimum.〔有名な〕
tener : 比 tenerior, tenerius; 最 tenerrimus, -a, -um.〔柔らかい〕
piger : 比 pigrior, pigrius; 最 pigerrimus, -a, -um.〔怠惰な〕
audāx : 比 audācior, audācius; 最 audācissimus, -a, -um.〔大胆な〕
similis : 比 similior, similius; 最 simillimus, -a, -um.〔似ている〕
dubius : 比 magis dubius, -a, -um; 最 maximē dubius, -a, -um.〔疑わしい〕
和訳
1. ローマの町ではしばしば剣闘士の競技が行われていた。〔『練習問題集』XXII 1. 5) と同文。〕
2. 同じことを欲し同じことを欲さないのが友情である。
3. 大衆の意見を軽蔑するな。
4. 銅から多くの工芸品が作られる。〔練 XXII 1. 1) と同文。aes は本書付属の単語集では「銅,青銅」、さらに『練習問題集』の単語集ではこの 2 つと並んで「真鍮」まで載っているが、3 種の金属を区別しなくても昔の人は困らなかったのだろうか (精錬技術が低いため?)。ここではそちらの解答に倣って「銅」を選んだ。〕
5. 不正を堪え忍ぶよりもむしろ行うことを欲する人間は正しくない。〔homō を説明する quī 関係節が重いので文末に回っている形。練 XXIV 4. 1) にやや類似。〕
6. 私たちは欲するところのことを喜んで信ずる。〔カエサルの言葉として有名、出所は『内乱記』II 巻 27 章 2 節。〕
7. カトーは善いと思われることよりも (善く) あることをむしろ欲した。〔habērī は habeō の不定法受動態現在で、ここでは「と思う、みなす」の意。bonus は esse だけでなく habērī の補語ともなっている。原典はサッルスティウス『カティリーナの陰謀』54 章 6 節に出てくる表現 (原文は esse quam vidērī bonus mālēbat) で、Catō は小カトーのこと。〕
8. 君は私に小さな本を見せたいか。
9. 大きな事柄においては欲したこと (だけで) も十分である。〔原文はプロペルティウス『哀歌』II 巻 10 章 6 行。〕
10. (彼は) 牢から逃げ出すことを欲さず、喜んで死へ向かっていった。〔主語は明示されていないが、主語の述語的同格 laetus によって男性とわかる。ソクラテスのことか?〕
11. コリントスの町の住民たちはギリシアの他の町の (住民たち) よりも裕福だった。〔ここでは中性複数属格 aliōrum で第 2 変化と同じだから差し支えないとはいえ、代名詞的形容詞 alius の曲用は正式には第 12 課 §54 で初出なので不注意である。〕
12. 黄金時代には人間はそれ以後よりも幸福に暮らしていた。〔練 XVI 8. 4) と同文。〕
13. 昔の都市のうちでもっとも有名なのはアテーナイとローマだった。〔clārissimae は属詞 (述語) であって「アテーナイとローマはもっとも有名だった」という文型だが、テーマ/レーマ構造 (情報構造) を考えれば「もっとも有名なのは〜」のように訳すほうが適切である。cf. 遠山『対訳 カエサル「ガリア戦記」第 I 巻』1 章注 7 (3 頁)。〕
14. 多くの男たちが最下位の身分に生まれながら最高位の顕職に到達した。〔練 XX 4. 6) と同文、XXI 1. 4) ともほぼ同文。〕
15. ローマ人たちは、アルプスのこちら側の上部イタリアにいたガリア人たちの土地をガッリア・キサルピーナ (アルプスのこちら側のガリア) またはガッリア・キテリオル (内ガリア) と呼んでいた。アルプスの向こう側にあるガリアはガッリア・ウルテリオル (外ガリア) または (ガッリア・) トランサルピーナ (アルプスの向こう側のガリア) と呼ばれていた。〔表記ゆれが見苦しいが音訳の部分はガッリアとしておく。練 XX 5. 5–6) と同文 (2 問に分割)。〕
16. 私は姉に母の病気について知らせる。〔練 XXII 3. 1) と同文。〕
17. カエサルは自分の軍勢をもっとも近い丘の上へ導いた。丘の中腹に三重の戦列を築いた;丘の頂上に最近徴集していた二個軍団を配置した。〔練 XX 4. 1–2) と同文 (2 問に分割)。第 1 文はほぼ同じものが本書 §20 B. [3] にも歴史的現在の例文として出ている。その歴史的現在が大元の原文のとおりで、出典は『ガリア戦記』I 巻 24 章 1–2 節省略改変。〕
18. カエサルは夜明けに陣営の前に戦列を築いた。〔練 XXII 4. 3) と同文。『ガリア戦記』I 巻 22 章からの抜粋改変?〕
19. どうして鉄は人間にとって金や銀よりも必要であるか。
20. 300 人以上の敵が戦闘の直前に捕まった。〔paulō は第 14 課 §64 で登場する程度 (差異) の奪格だが、単語集にはこの形で副詞として立項されているのでいちおう訳せるようにはなっている。paulō ante の並びなので「直前、少し前に」ととるほうが素直だろうが、文頭の plūs も比較級であるからそちらにかければ「300 人を少し超える敵が戦闘の前に捕まった」と解せないこともない。〕
1. Cūr hīc manēre quam abīre māvultis?〔練 XXIV 4. 3) とほぼ同文。また本書 §43 の例文ともよく似る。〕
2. Pōns in flūmine fit [factus est].〔練 XXV 8. 3) « Caesar pontem in flūmine Rhēnō faciendum cūrāvit. » を参考。「作られている」という日本語が進行とも完了とも解せる。〕
3. Nōlī(te) trepidāre.
4. Hodiē caelum serēnius est quam herī.〔練 XVI 5. 3) に類似。〕
5. Vēr pulcherrimum tempus annī est.〔練 XVI 6. 5) とほぼ同文。〕
1. ガリアの諸部族はカエサルの到来する前にはほとんど毎年のように互いのあいだで戦争するのが常であった。
2. もっとはっきりした声で話しなさい。〔『練習問題集』XXVI 5. 2) と同文。〕
3. 私たちが享受している生は短い。〔単語集には fruor は自動詞としか書かれていないが、水谷羅和にあたると目的語は奪格または対格とある。ここでは関係代名詞 quā がその奪格。〕
4. 悪い人たちを友人として付きあうな。〔ūtor も奪格目的語をとる。やはり水谷羅和によれば「交際する,つきあう」の意味あり。〕
5. 賢明に生きた者は平静な心で死ぬだろう。〔練 XXVI 4. 4) と同文。〕
6. 森のなかに見捨てられた (=無人の) 家があった;その場所へ共謀者たちは捕虜たちを運んだ。〔練 XIV 5. 10) と同文。〕
7. イーカロスは父から忠告されていたにもかかわらず太陽に近づきすぎた。〔練 XXIII 1. 5) と同文。〕
8. 将軍の考え (=戦略、または慎重さ) に兵士たちの勇気はかかっている。〔プーブリリウス・シュルスの格言。こういう洒落た語順の文が出てきたらかならず元ネタがある。〕
9. 暴君は祖国を圧迫されたものとしている (=圧迫した)。〔このような habēre/tenēre + 完了分詞という形式が文法化して後代のロマンス語の複合時制に至る (フランス語の複合過去、イタリア語の近過去、スペイン語の現在完了、ポルトガル語の完全過去複合形など;とくにポルトガル語は完了の助動詞に ter/haver の両方を使える)。松平・国原『新ラテン文法』§450、パトータ『イタリア語の起源』邦訳 157–59 頁、山田ほか『中級スペイン文法』561, 571–72 頁。〕
10. 人間を体力の点でしのいでいる動物の数は多い。〔練 XIX 1. 6) と同文、XXI 1. 13) ともやや類似。〕
11. 春が近づくとハンニバルは軍勢を冬営陣から引き出した。〔練 XXII 5. 例と同文。〕
12. ハンニバルは敵の到着が知らされると陣営を撤収した。〔練 XXIII 1. 9) とほぼ同文。〕
13. キケローが執政官だったときにカティリーナの陰謀が暴かれた。〔練 XXII 6. 例とほぼ同文。〕
14. カエサルは彼の (麾下の) 全員が無傷のままクィーントゥス・キケローの陣営にたどりついた。〔所有形容詞の複数形 suī だけで「自分の仲間・味方・家族」などを表しうる (樋口・藤井『詳解ラテン文法』94 頁注 5)。原典は『ガリア戦記』V 巻 52 章 1 節改変。〕
15. 法務官は、カティリーナとともに国家を圧迫 [襲撃] しようとしていたケテーグスの家から、きわめて多数の短剣や剣を運び出した。
16. トロイアが攻略されてから 10 年後にウリクセース (=オデュッセウス) は祖国にたどりついた。〔練 XXV 6. 5) の前半と同文。〕
17. カエサルは兵士たちを労働へと励まして町を防柵で囲むことを始めた。
18. 木が倒されて倒れた、倒れながら倒す人を倒した。〔よく似ている他動詞 caedō, caedere, cecīdī, caesum「倒す」と自動詞 cadō, cadere, cecĭdī, cāsūrus「倒れる」が交錯するややこしい文。前半は主語 arbor に他動詞の完了受動分詞 caesa が同格+自動詞の完了時制 cecidit、後半は同じ主語に自動詞の現在能動分詞 cadēns が同格+他動詞の完了時制 cecīdit+その目的語として他動詞の現在能動分詞 caedentem の名詞的用法。〕
19. (彼は) 誰が助けることもなく (=誰の助けもなしに) これを成し遂げた。〔原典はキケロー『アントーニウス攻撃演説 (ピリッピカ)』第 10 演説 2 章。perfēcit は cōnfēcit の異読。〕
20. ガーイウス・スルピキウスとガーイウス・リキニウスが執政官のとき疫病があった。〔紀元前 364 年のこと。2 人の執政官の名前を結ぶのに et や -que はいらない (§84)。〕
1. Prō amīcīs omnia patimur.
2. Rōmānī prō patriā, ubi nātī sunt, morī nōn cūnctantur.
3. Coniūrātī iūre damnātī sunt.
4. Nāvis frūmentō implēta ad ōram appropinquāvit.
5. Quiētā Galliā, Caesar in Italiam iter fēcit.〔『ガリア戦記』VII 巻 1 章 1 節 « Quiētā Galliā, Caesar, ut cōnstituerat, in Italiam ad conventūs agendōs proficīscitur. » を参考。〕
2. 同じことを欲し同じことを欲さないのが友情である。
3. 大衆の意見を軽蔑するな。
4. 銅から多くの工芸品が作られる。〔練 XXII 1. 1) と同文。aes は本書付属の単語集では「銅,青銅」、さらに『練習問題集』の単語集ではこの 2 つと並んで「真鍮」まで載っているが、3 種の金属を区別しなくても昔の人は困らなかったのだろうか (精錬技術が低いため?)。ここではそちらの解答に倣って「銅」を選んだ。〕
5. 不正を堪え忍ぶよりもむしろ行うことを欲する人間は正しくない。〔homō を説明する quī 関係節が重いので文末に回っている形。練 XXIV 4. 1) にやや類似。〕
6. 私たちは欲するところのことを喜んで信ずる。〔カエサルの言葉として有名、出所は『内乱記』II 巻 27 章 2 節。〕
7. カトーは善いと思われることよりも (善く) あることをむしろ欲した。〔habērī は habeō の不定法受動態現在で、ここでは「と思う、みなす」の意。bonus は esse だけでなく habērī の補語ともなっている。原典はサッルスティウス『カティリーナの陰謀』54 章 6 節に出てくる表現 (原文は esse quam vidērī bonus mālēbat) で、Catō は小カトーのこと。〕
8. 君は私に小さな本を見せたいか。
9. 大きな事柄においては欲したこと (だけで) も十分である。〔原文はプロペルティウス『哀歌』II 巻 10 章 6 行。〕
10. (彼は) 牢から逃げ出すことを欲さず、喜んで死へ向かっていった。〔主語は明示されていないが、主語の述語的同格 laetus によって男性とわかる。ソクラテスのことか?〕
11. コリントスの町の住民たちはギリシアの他の町の (住民たち) よりも裕福だった。〔ここでは中性複数属格 aliōrum で第 2 変化と同じだから差し支えないとはいえ、代名詞的形容詞 alius の曲用は正式には第 12 課 §54 で初出なので不注意である。〕
12. 黄金時代には人間はそれ以後よりも幸福に暮らしていた。〔練 XVI 8. 4) と同文。〕
13. 昔の都市のうちでもっとも有名なのはアテーナイとローマだった。〔clārissimae は属詞 (述語) であって「アテーナイとローマはもっとも有名だった」という文型だが、テーマ/レーマ構造 (情報構造) を考えれば「もっとも有名なのは〜」のように訳すほうが適切である。cf. 遠山『対訳 カエサル「ガリア戦記」第 I 巻』1 章注 7 (3 頁)。〕
14. 多くの男たちが最下位の身分に生まれながら最高位の顕職に到達した。〔練 XX 4. 6) と同文、XXI 1. 4) ともほぼ同文。〕
15. ローマ人たちは、アルプスのこちら側の上部イタリアにいたガリア人たちの土地をガッリア・キサルピーナ (アルプスのこちら側のガリア) またはガッリア・キテリオル (内ガリア) と呼んでいた。アルプスの向こう側にあるガリアはガッリア・ウルテリオル (外ガリア) または (ガッリア・) トランサルピーナ (アルプスの向こう側のガリア) と呼ばれていた。〔表記ゆれが見苦しいが音訳の部分はガッリアとしておく。練 XX 5. 5–6) と同文 (2 問に分割)。〕
16. 私は姉に母の病気について知らせる。〔練 XXII 3. 1) と同文。〕
17. カエサルは自分の軍勢をもっとも近い丘の上へ導いた。丘の中腹に三重の戦列を築いた;丘の頂上に最近徴集していた二個軍団を配置した。〔練 XX 4. 1–2) と同文 (2 問に分割)。第 1 文はほぼ同じものが本書 §20 B. [3] にも歴史的現在の例文として出ている。その歴史的現在が大元の原文のとおりで、出典は『ガリア戦記』I 巻 24 章 1–2 節省略改変。〕
18. カエサルは夜明けに陣営の前に戦列を築いた。〔練 XXII 4. 3) と同文。『ガリア戦記』I 巻 22 章からの抜粋改変?〕
19. どうして鉄は人間にとって金や銀よりも必要であるか。
20. 300 人以上の敵が戦闘の直前に捕まった。〔paulō は第 14 課 §64 で登場する程度 (差異) の奪格だが、単語集にはこの形で副詞として立項されているのでいちおう訳せるようにはなっている。paulō ante の並びなので「直前、少し前に」ととるほうが素直だろうが、文頭の plūs も比較級であるからそちらにかければ「300 人を少し超える敵が戦闘の前に捕まった」と解せないこともない。〕
作文
1. Cūr hīc manēre quam abīre māvultis?〔練 XXIV 4. 3) とほぼ同文。また本書 §43 の例文ともよく似る。〕
2. Pōns in flūmine fit [factus est].〔練 XXV 8. 3) « Caesar pontem in flūmine Rhēnō faciendum cūrāvit. » を参考。「作られている」という日本語が進行とも完了とも解せる。〕
3. Nōlī(te) trepidāre.
4. Hodiē caelum serēnius est quam herī.〔練 XVI 5. 3) に類似。〕
5. Vēr pulcherrimum tempus annī est.〔練 XVI 6. 5) とほぼ同文。〕
第 10 課
和訳
1. ガリアの諸部族はカエサルの到来する前にはほとんど毎年のように互いのあいだで戦争するのが常であった。
2. もっとはっきりした声で話しなさい。〔『練習問題集』XXVI 5. 2) と同文。〕
3. 私たちが享受している生は短い。〔単語集には fruor は自動詞としか書かれていないが、水谷羅和にあたると目的語は奪格または対格とある。ここでは関係代名詞 quā がその奪格。〕
4. 悪い人たちを友人として付きあうな。〔ūtor も奪格目的語をとる。やはり水谷羅和によれば「交際する,つきあう」の意味あり。〕
5. 賢明に生きた者は平静な心で死ぬだろう。〔練 XXVI 4. 4) と同文。〕
6. 森のなかに見捨てられた (=無人の) 家があった;その場所へ共謀者たちは捕虜たちを運んだ。〔練 XIV 5. 10) と同文。〕
7. イーカロスは父から忠告されていたにもかかわらず太陽に近づきすぎた。〔練 XXIII 1. 5) と同文。〕
8. 将軍の考え (=戦略、または慎重さ) に兵士たちの勇気はかかっている。〔プーブリリウス・シュルスの格言。こういう洒落た語順の文が出てきたらかならず元ネタがある。〕
9. 暴君は祖国を圧迫されたものとしている (=圧迫した)。〔このような habēre/tenēre + 完了分詞という形式が文法化して後代のロマンス語の複合時制に至る (フランス語の複合過去、イタリア語の近過去、スペイン語の現在完了、ポルトガル語の完全過去複合形など;とくにポルトガル語は完了の助動詞に ter/haver の両方を使える)。松平・国原『新ラテン文法』§450、パトータ『イタリア語の起源』邦訳 157–59 頁、山田ほか『中級スペイン文法』561, 571–72 頁。〕
10. 人間を体力の点でしのいでいる動物の数は多い。〔練 XIX 1. 6) と同文、XXI 1. 13) ともやや類似。〕
11. 春が近づくとハンニバルは軍勢を冬営陣から引き出した。〔練 XXII 5. 例と同文。〕
12. ハンニバルは敵の到着が知らされると陣営を撤収した。〔練 XXIII 1. 9) とほぼ同文。〕
13. キケローが執政官だったときにカティリーナの陰謀が暴かれた。〔練 XXII 6. 例とほぼ同文。〕
14. カエサルは彼の (麾下の) 全員が無傷のままクィーントゥス・キケローの陣営にたどりついた。〔所有形容詞の複数形 suī だけで「自分の仲間・味方・家族」などを表しうる (樋口・藤井『詳解ラテン文法』94 頁注 5)。原典は『ガリア戦記』V 巻 52 章 1 節改変。〕
15. 法務官は、カティリーナとともに国家を圧迫 [襲撃] しようとしていたケテーグスの家から、きわめて多数の短剣や剣を運び出した。
16. トロイアが攻略されてから 10 年後にウリクセース (=オデュッセウス) は祖国にたどりついた。〔練 XXV 6. 5) の前半と同文。〕
17. カエサルは兵士たちを労働へと励まして町を防柵で囲むことを始めた。
18. 木が倒されて倒れた、倒れながら倒す人を倒した。〔よく似ている他動詞 caedō, caedere, cecīdī, caesum「倒す」と自動詞 cadō, cadere, cecĭdī, cāsūrus「倒れる」が交錯するややこしい文。前半は主語 arbor に他動詞の完了受動分詞 caesa が同格+自動詞の完了時制 cecidit、後半は同じ主語に自動詞の現在能動分詞 cadēns が同格+他動詞の完了時制 cecīdit+その目的語として他動詞の現在能動分詞 caedentem の名詞的用法。〕
19. (彼は) 誰が助けることもなく (=誰の助けもなしに) これを成し遂げた。〔原典はキケロー『アントーニウス攻撃演説 (ピリッピカ)』第 10 演説 2 章。perfēcit は cōnfēcit の異読。〕
20. ガーイウス・スルピキウスとガーイウス・リキニウスが執政官のとき疫病があった。〔紀元前 364 年のこと。2 人の執政官の名前を結ぶのに et や -que はいらない (§84)。〕
作文
1. Prō amīcīs omnia patimur.
2. Rōmānī prō patriā, ubi nātī sunt, morī nōn cūnctantur.
3. Coniūrātī iūre damnātī sunt.
4. Nāvis frūmentō implēta ad ōram appropinquāvit.
5. Quiētā Galliā, Caesar in Italiam iter fēcit.〔『ガリア戦記』VII 巻 1 章 1 節 « Quiētā Galliā, Caesar, ut cōnstituerat, in Italiam ad conventūs agendōs proficīscitur. » を参考。〕
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