グリーンランド語入門第 5 回の範囲は,Kölbl, Grönländisch, S. 35–39 です (全体の目次は第 1 回をご覧ください).今回は名詞の屈折に関する章で,文法用語もいままで以上に多く出てきます.
以前にも少し注意しましたが,グリーンランド語を含むエスキモー諸語については日本語で書かれた文献が僅少のため,専門的な術語にいまだ訳語が存在しないかあるとしても調べがつかないということが少なくありません.そういう場合は私が無理やり訳語を発案することになりますが,日本語にしても通りがよくなかったり思わぬ誤訳もあるかもしれないので,括弧内に併記する原語を参考にしてください.
場所の関係は,3 つの特別な格によって表現されます.
処格 (Lokativ)「〜で,に;のそばで」:単数 ±mi, 複数 ±ni.
向格 (Allativ)「〜へ,に」:単数 ±mut, 複数 ±nut.
奪格 (Ablativ)「〜から」:単数 ±mit, 複数 ±nit. 場所の起点だけでなく,素材を表す「〜からできている」にも使います.
〔これらの格の名称は定訳があるもので,やや目慣れないと思われる「向格」もフィンランド語やエストニア語などで現に使われているものです.「奪格」はそれらに加えてラテン語やサンスクリット語などでもおなじみでしょうが,フィンランド語のように (内格,入格,出格),(接格,向格,奪格) という場所格の 3 つ組がある言語では,対応関係の明示のためか「離格」と呼ぶこともあり,これに倣ってもよいでしょう.「処格」には「所格」「地格」「位格」など多数の別名があり,日本語の文献では著者の好みに応じて使われています.〕
± は,その語尾の子音が類に応じて切断的 (abgeschnitten) にも調和的 (angeglichen)〔=同化的〕にもなることを意味します.〔接尾辞の分類と付加のしかたについては第 2 回を見なおしてください.〕
1 類では次のとおりです:母音にはこれらの語尾が直接付加されます.-k はつねに m-, n- に同化されます.-t は m- の場合だけ同化し,n- は決してしません.-q はこの類では脱落します.
illu → 単数 illu|mi「家で」,複数 illu|ni「家々で」.panik → panim|mi「娘のそばで」,panin|ni「娘たちのそばで」.angut → angum|mi「男のそばで」,angut|ini「男たちのそばで」.arnaq → arna|mi「女のそばで」,arna|ni「女たちのそばで」.
2 類ではこれらの語尾はつねに語幹につきます.〔atua·gaq, atuakka|t →〕単数 atuakka|mi「本 (のなか) で」,複数 atuakka|ni「本たちで」.
3 類ではつねに同化的 (angleichend) です.-k からは -m-, -n- に,また -q からは -r になります.
ateq → 単数 ater|mi「名前で」,複数 ater|ni「名前たちで」.kamik → kamim|mi「長靴で」,kamin|ni「長靴たちで」.
場所格では〔固有名詞である〕地名の場合も変化します:〔Nuuk →〕Nuum|mi「ヌークで」,Nuum|mut「ヌークへ」,Nuum|mit「ヌークから」.
具格 (Instrumental) はさまざまな用法をもつ重要な格です.これはある行為が「何によって womit」遂行されるかを意味します.±mik/nik で,場所格と同様に付加します.〔「〜によって,とともに」というのは「具」という字面からもあからさまな,印欧語でもおなじみの具格の用法ですが,次回見るとおりグリーンランド語の具格にはこのほか「不定の目的語」という重要な用法があります.〕
panim|mik, panin|nik「娘 (たち) とともに」.atuakka|mik, atuakka|nik「本 (たち) で」.kamim|mik, kamin|nik「長靴 (たち) で」.
通格 (Vialis) は「〜を経由して,を通って,の上を」を意味し,とられる道や,何かが起こるところのはっきり定まった場所 (署名をするところ,体の痛む箇所,など) を意味します.〔Vialis は prolative とも呼び,ここでは「通格」と訳しておきますが,via- ですし「経由格」のほうがはっきりするかもしれません.「通格」はトカラ語文法では perlative の訳語と決まっていますが,文献一覧で紹介した Sadock ではこの格が perlative と呼ばれています.Prolative との違いとは?〕
1 類の場合:単数語尾 -kkut は基底形につき,-q/-k は落ちます.-t の後ではつなぎの -i- が挿入され -ikkut となります.複数語尾 ±tigut は語幹につき -itigut となります.
2 類の場合:-kkut, ±tigut ともに語幹につきます.
3 類の場合:-kkut は基底形につき,-q/-k は落ちます.±tigut も基底形につき,-q は -r になります.
-k と複数語尾 +tigut は融合 (verschmelzen) し,そのさい〔*-kt- は〕次のように変化します.-ik で終わる語 + tigut では -issigut, また -ak/-uk で終わる語では -atsigut/-utsigut となります.
matu· (1)「扉」→ matu|kkut, matu|tigut「扉 (たち) を通って」.
seeqqo·q (1)「膝」→ seeqqu|kkut, seeqqu|tigut「膝 (たち) のところで (痛むなど)」.
serme·q (3)「氷河」→ sermi|kkut, sermer|tigut「氷河の上を」.
umiarsua·q (3)「船」→ umiarsua|kkut, umiarsuar|tigut「船によって,船便で」.
Narsarsua·q (3)「ナルサルスアーク (地名)」→ Narsarsua|kkut「ナルサルスアークを通って」.
この等格 (Äqualis) は単数と複数がつねに同形で,「〜のように」を意味します〔これも市民権を得た訳語ではありませんが,equa- なので無茶な訳ではないでしょう.別案としては,「同格」は apposition と競合するため論外,「様格」は essive の定訳ゆえ問題があります (ある程度用法は重なりそうですが)〕.
-i の後ではしばしば -sut になります.その他の場合 ±tut は〔上の〕±tigut と同様に付加し,したがって -k との融合も起こります.
illu|tut「家 (々) のように」,ater|tut「名前 (たち) のように」,panis|sut「娘 (たち) のように」,inut|tut「人 (々) のように」.
-tut はほかの格語尾に付加されることもできます:Danmarkimi「デンマークで」→ Danmarkimisut「デンマークでのように」.
等格は言語名としても使われます:kalaaleq「グリーンランド人」+ -tut → kalaalli|sut「グリーンランド人のように,グリーンランド語」.
所有標識は屈折語尾と組みあわさることができ,たとえば illuga「私の家」+ ni「で」=「私の家で」となります.単数・複数いずれでも +ni/nut/nit/nik を用います〔単数でも m 系列でないことに注意〕.
〔処格語尾の〕+ni は所有標識とも同じですから,そのために多義的な形が生じることもあります.
〔前回やったものとは異なる〕ほかの所有標識が挿入されることがあります:-mi- が「彼自身の」〔4 人称単数〕,-tsi- が「私たちの」〔1 人称複数〕です.〔所有されるものの〕単数と複数は,3 人称においてのみ区別可能です.
illu「家」 illut「家々」
illu|nni「私の家で」 illu|nni「私の家々で」
illu|nni「君の家で」 illu|nni「君の家々で」〔以下同様〕
illu|ani「彼の家で」 illu|ini
illu|mini「彼自身の家で」 illu|mini
illu|tsinni「私たちの家で」 illu|tsinni
illu|ssinni「君たちの家で」 illu|ssinni
illu|anni「彼らの家で」 illu|ini
illu|minni「彼ら自身の家で」 illu|minni
2 類と 3 類の子音で終わる語では,さまざまな同化が起こります.しかしこれは完全に規則的に行われるので,みなさんがご自分で導けるでしょう.たとえば panik についての〔変化〕形を知っていれば,同じ類からの orpik「木」についても応用できます.
いまや私たちは,当地の名前 Kalaallit Nunaat の本当の意味を理解できます:kalaa·leq, -llit (2)「グリーンランド人」,nuna·, -t (1)「土地」ですから,Kalaallit Nunaat とは「グリーンランド人たちの土地」です.〔Kalaallit のほうは,複数では基本形と従属格が同形なのでした (前々回).nuna は 1 類で母音で終わり,それに 3 人称複数の所有標識 -at がついています (こちらは前回).〕
グリーンランド人はたいてい彼らの土地のことを,自分たちのあいだでは nunarput「私たちの土地」と名指します.したがって「グリーンランドで」はしばしば nunatsinni「私たちの土地で」,「グリーンランドへ」は nunatsinnut「私たちの土地へ」などなどと呼ばれます.
以前にも少し注意しましたが,グリーンランド語を含むエスキモー諸語については日本語で書かれた文献が僅少のため,専門的な術語にいまだ訳語が存在しないかあるとしても調べがつかないということが少なくありません.そういう場合は私が無理やり訳語を発案することになりますが,日本語にしても通りがよくなかったり思わぬ誤訳もあるかもしれないので,括弧内に併記する原語を参考にしてください.
名詞の屈折
場所の関係は,3 つの特別な格によって表現されます.
場所格 (Ortsfall):±mi/ni, ±mut/nut, ±mit/nit
処格 (Lokativ)「〜で,に;のそばで」:単数 ±mi, 複数 ±ni.
向格 (Allativ)「〜へ,に」:単数 ±mut, 複数 ±nut.
奪格 (Ablativ)「〜から」:単数 ±mit, 複数 ±nit. 場所の起点だけでなく,素材を表す「〜からできている」にも使います.
〔これらの格の名称は定訳があるもので,やや目慣れないと思われる「向格」もフィンランド語やエストニア語などで現に使われているものです.「奪格」はそれらに加えてラテン語やサンスクリット語などでもおなじみでしょうが,フィンランド語のように (内格,入格,出格),(接格,向格,奪格) という場所格の 3 つ組がある言語では,対応関係の明示のためか「離格」と呼ぶこともあり,これに倣ってもよいでしょう.「処格」には「所格」「地格」「位格」など多数の別名があり,日本語の文献では著者の好みに応じて使われています.〕
± は,その語尾の子音が類に応じて切断的 (abgeschnitten) にも調和的 (angeglichen)〔=同化的〕にもなることを意味します.〔接尾辞の分類と付加のしかたについては第 2 回を見なおしてください.〕
1 類では次のとおりです:母音にはこれらの語尾が直接付加されます.-k はつねに m-, n- に同化されます.-t は m- の場合だけ同化し,n- は決してしません.-q はこの類では脱落します.
illu → 単数 illu|mi「家で」,複数 illu|ni「家々で」.panik → panim|mi「娘のそばで」,panin|ni「娘たちのそばで」.angut → angum|mi「男のそばで」,angut|ini「男たちのそばで」.arnaq → arna|mi「女のそばで」,arna|ni「女たちのそばで」.
2 類ではこれらの語尾はつねに語幹につきます.〔atua·gaq, atuakka|t →〕単数 atuakka|mi「本 (のなか) で」,複数 atuakka|ni「本たちで」.
3 類ではつねに同化的 (angleichend) です.-k からは -m-, -n- に,また -q からは -r になります.
ateq → 単数 ater|mi「名前で」,複数 ater|ni「名前たちで」.kamik → kamim|mi「長靴で」,kamin|ni「長靴たちで」.
場所格では〔固有名詞である〕地名の場合も変化します:〔Nuuk →〕Nuum|mi「ヌークで」,Nuum|mut「ヌークへ」,Nuum|mit「ヌークから」.
具格 (またはニヨッテ格 Wie-/Womitfall):±mik/nik
具格 (Instrumental) はさまざまな用法をもつ重要な格です.これはある行為が「何によって womit」遂行されるかを意味します.±mik/nik で,場所格と同様に付加します.〔「〜によって,とともに」というのは「具」という字面からもあからさまな,印欧語でもおなじみの具格の用法ですが,次回見るとおりグリーンランド語の具格にはこのほか「不定の目的語」という重要な用法があります.〕
panim|mik, panin|nik「娘 (たち) とともに」.atuakka|mik, atuakka|nik「本 (たち) で」.kamim|mik, kamin|nik「長靴 (たち) で」.
通格 (via-fall):-kkut/±tigut
通格 (Vialis) は「〜を経由して,を通って,の上を」を意味し,とられる道や,何かが起こるところのはっきり定まった場所 (署名をするところ,体の痛む箇所,など) を意味します.〔Vialis は prolative とも呼び,ここでは「通格」と訳しておきますが,via- ですし「経由格」のほうがはっきりするかもしれません.「通格」はトカラ語文法では perlative の訳語と決まっていますが,文献一覧で紹介した Sadock ではこの格が perlative と呼ばれています.Prolative との違いとは?〕
1 類の場合:単数語尾 -kkut は基底形につき,-q/-k は落ちます.-t の後ではつなぎの -i- が挿入され -ikkut となります.複数語尾 ±tigut は語幹につき -itigut となります.
2 類の場合:-kkut, ±tigut ともに語幹につきます.
3 類の場合:-kkut は基底形につき,-q/-k は落ちます.±tigut も基底形につき,-q は -r になります.
-k と複数語尾 +tigut は融合 (verschmelzen) し,そのさい〔*-kt- は〕次のように変化します.-ik で終わる語 + tigut では -issigut, また -ak/-uk で終わる語では -atsigut/-utsigut となります.
matu· (1)「扉」→ matu|kkut, matu|tigut「扉 (たち) を通って」.
seeqqo·q (1)「膝」→ seeqqu|kkut, seeqqu|tigut「膝 (たち) のところで (痛むなど)」.
serme·q (3)「氷河」→ sermi|kkut, sermer|tigut「氷河の上を」.
umiarsua·q (3)「船」→ umiarsua|kkut, umiarsuar|tigut「船によって,船便で」.
Narsarsua·q (3)「ナルサルスアーク (地名)」→ Narsarsua|kkut「ナルサルスアークを通って」.
等格 (またはノヨウニ格 so-wie-Fall):±tut
この等格 (Äqualis) は単数と複数がつねに同形で,「〜のように」を意味します〔これも市民権を得た訳語ではありませんが,equa- なので無茶な訳ではないでしょう.別案としては,「同格」は apposition と競合するため論外,「様格」は essive の定訳ゆえ問題があります (ある程度用法は重なりそうですが)〕.
-i の後ではしばしば -sut になります.その他の場合 ±tut は〔上の〕±tigut と同様に付加し,したがって -k との融合も起こります.
illu|tut「家 (々) のように」,ater|tut「名前 (たち) のように」,panis|sut「娘 (たち) のように」,inut|tut「人 (々) のように」.
-tut はほかの格語尾に付加されることもできます:Danmarkimi「デンマークで」→ Danmarkimisut「デンマークでのように」.
等格は言語名としても使われます:kalaaleq「グリーンランド人」+ -tut → kalaalli|sut「グリーンランド人のように,グリーンランド語」.
所有標識 + ni/nut/nit/nik
所有標識は屈折語尾と組みあわさることができ,たとえば illuga「私の家」+ ni「で」=「私の家で」となります.単数・複数いずれでも +ni/nut/nit/nik を用います〔単数でも m 系列でないことに注意〕.
〔処格語尾の〕+ni は所有標識とも同じですから,そのために多義的な形が生じることもあります.
〔前回やったものとは異なる〕ほかの所有標識が挿入されることがあります:-mi- が「彼自身の」〔4 人称単数〕,-tsi- が「私たちの」〔1 人称複数〕です.〔所有されるものの〕単数と複数は,3 人称においてのみ区別可能です.
illu「家」 illut「家々」
illu|nni「私の家で」 illu|nni「私の家々で」
illu|nni「君の家で」 illu|nni「君の家々で」〔以下同様〕
illu|ani「彼の家で」 illu|ini
illu|mini「彼自身の家で」 illu|mini
illu|tsinni「私たちの家で」 illu|tsinni
illu|ssinni「君たちの家で」 illu|ssinni
illu|anni「彼らの家で」 illu|ini
illu|minni「彼ら自身の家で」 illu|minni
2 類と 3 類の子音で終わる語では,さまざまな同化が起こります.しかしこれは完全に規則的に行われるので,みなさんがご自分で導けるでしょう.たとえば panik についての〔変化〕形を知っていれば,同じ類からの orpik「木」についても応用できます.
グリーンランドとグリーンランド語
いまや私たちは,当地の名前 Kalaallit Nunaat の本当の意味を理解できます:kalaa·leq, -llit (2)「グリーンランド人」,nuna·, -t (1)「土地」ですから,Kalaallit Nunaat とは「グリーンランド人たちの土地」です.〔Kalaallit のほうは,複数では基本形と従属格が同形なのでした (前々回).nuna は 1 類で母音で終わり,それに 3 人称複数の所有標識 -at がついています (こちらは前回).〕
グリーンランド人はたいてい彼らの土地のことを,自分たちのあいだでは nunarput「私たちの土地」と名指します.したがって「グリーンランドで」はしばしば nunatsinni「私たちの土地で」,「グリーンランドへ」は nunatsinnut「私たちの土地へ」などなどと呼ばれます.
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