水谷智洋『古典ギリシア語初歩』(岩波書店、1990 年) の練習問題の解答例。このページでは第 13 課から第 16 課までを扱う。
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第 13 課 形容詞および副詞の比較,ἡδῑ́ων の変化
練習 13
1. 恋より甘いものはない。〔直訳は「何物も恋より甘くない」。〕
2. ピンダロスが言うように、水がもっともよい。〔ピンダロスによるオリュンピア祝勝詩 (紀元前 476 年のオリュンピア競技会において騎馬競争の部で優勝したシュラクサイのヒエロンを讃えたもの) の劈頭の句。しかしいったい何のなかで・どういう意味で水が最良だというのかは不詳である。William H. Race (1981), ‘Pindar’s “Best is water”: Best of What?’ によると、四大元素のうちで水が最良なのである、あるいは無条件に万物のうちで最良なのである、という有力な 2 つの解釈はいずれも正しくなく、人間の 3 つの条件のうち生命という点では水が最良なのだ (残り 2 つは、財産に関しては黄金が最良、そして名誉に関してはオリュンピア祭が最良、と続く)、という解釈がよいとする。〕
3. だが技術は必然 (の定め) よりもはるかに弱い。〔プロメテウスが人間に与えた技術は大神ゼウスには及ばず、そのゼウスでさえモイライの定める必然の運命には抗しえない。μακρῷ は差異の与格で、比較級・最上級を強める。これと同じく英語の by far も日本語の「はるかに」も、距離の長さ・遠さでもって差異の程度を強調するのはおもしろい。〕
4. 犬は人間にとってもっとも親しい。
5. 友よりも美しい財産はなにひとつ存在しない。
6. 母は父よりも 10 歳年下だと彼は言った。〔δέκα ἔτεσι「10 年だけ」も差異の与格。〕
7. 私たちは他人の過ちを自分の (過ち) よりも容易に目のなかにもつ (=目につく)。〔ῥᾷον は副詞の比較級。〕
8. 国家は、最善の国制をあたうかぎり速やかにかつ良く得たとき、もっとも幸福に過ごすだろう。〔τάχιστα, ἄριστα, εὐδαιμονέστατα は副詞の最上級。アオリスト分詞 λαβοῦσα の訳しかたは一意に決めがたい:「得たならば」という条件、「得ることで」という手段、あるいは現実に「得たので」という理由の説明でもありうる。分詞において時制はかならずしも時の違いを表すものではないので、アオリストでも「得る」のは現在または未来のできごとであってよいのである。〕
9. アポッローンの神託がデルポイにおいてなされた:ソポクレースは賢いが、エウリーピデースはさらに賢く、ソークラテースはすべての人たちのうちでもっとも賢い。
10. プロメーテウスはまず最初に人間たちと野獣たちを作った。次に彼は野獣たちがより多いことを見つつ、いくらかの (野獣) を人間に変えた。そしてそのことのゆえに、人間の身体と野獣の魂をもつ者たちがいまだにいるのである。〔第 2 文 ὁρῶν の現在分詞は、この動作が主文の動詞と同時的 (主文がアオリストなので時間的には過去のできごと) で、相としては継続的「見つつ、見ながら」であることを表す。第 3 文頭 τοῦτο は前文の内容を指す。οἵ の導く関係節のなかは、μὲν ... δὲ ... の対比を活かすなら「身体は人間だが魂は野獣である」のように訳すと自然。〕
第 14 課 母音融合動詞
練習 14
1. 時間は明らかでないことを明らかにする。
2. 1 羽のツバメは春を作らない。〔ことわざ。英語にも入っており ‘One swallow does not make a summer.’ と言う。1 羽来たからといってすぐに春 (夏) になるわけではないということ。〕
3. 神々が愛する者 (=神々に愛される者) は若くして死ぬ。〔νέος は述語的同格。死ぬという動作が起こるとき若い状態であるということ。〕
4. なぜなら彼は (自分が) 最良であるとみなされることをではなく (実際に最良で) あることを欲しているから。〔οὐ ... ἀλλὰ ... で 2 つのものを対比しており、それが δοκεῖν と εἶναι という 2 つの不定詞で、ἄριστος はそれらの述語として共有されている。難解に見えるが、ἄριστος εἶναι θέλει. だけにしてみれば誰でも簡単に読めるだろう。〕
5. シケリアーをローマ人たちはローマの蔵と呼んでいた。
6. ネストールの舌からは、ちょうど蜜のように言葉が流れ出たものだった。
7. よい友人が 1 人もいないような人は誰であれ生きる価値がない。〔マジすか。というのは置いといて、ὅτῳ は不定関係代名詞 ᾧτινι の別形で、役割は所有の与格。「その人のところによい友人がいない人は誰でも」。〕
8. 不正を働くこととは、ほかの人たちよりも多くを持とうと求めることである。
9. というのも、人々にとって嵐のときに船で海をゆくことよりも大きな危険があろうか。〔直訳すれば「どんな危険が……より大きいか」という疑問文だが、明らかに修辞疑問であって「それより大きな危険はない」の意。〕
10. あるアテーナイ人があるときペリクレースに尋ねた:「ペリクレースよ」と彼は言った、「支配者が心にもって [留めて] おかねばならない第 1 のことは何か」。すると (ペリクレースは答えて) 言った:「(その支配者じしんが) 人間であるということだ」。「では第 2 のことは何か」。「立派にかつ公正に支配せねばならないということだ」。また最後にその男は言った:「第 3 のことは何か」。するとペリクレースは言った:「いつまでも支配してい (られ) るわけではないということだ」。
第 15 課 流音・鼻音幹動詞の未来,人称代名詞
練習 15
1. 私はアルパにしてオー・メガ、始めであり終わりである。〔オー・メガ (オメガ) というのは中世以後の名称であり、古代ではたんにオー ὦ。ネストレ゠アーラント第 28 版にもあたってみたが、本文に採用していないばかりか異読資料欄にも μέγα の語はないので、古い写本にはいっさい見られないことがわかる。〕
2. 何者もあなたより賢くはない、ソークラテースよ。
3. 私にはこれが、あなたにはあれが気に入る。
4. すなわちわれわれの心は各人のうちにおいて神である。
5. 涙はわれわれにとって苦悩と災いの (=を癒やす) 薬である。
6. 君にこれを与える、というのは君は私の母を尊重しているから。
7. 誰が君たちとともにあの国にとどまるだろうか。〔μενοῦσιν は未来 3 複。〕
8. 君の私への手紙はなんと長かったか。〔ἡ πρὸς ἐμέ は ἡ ἐπιστολή への修飾句として冠詞がついている。〕
9. 君たちは君たちの父祖から得た徳を投げ捨てるつもりか。〔ἀποβαλεῖτε は未来 2 複、ἐλάβετε は第 2 アオリスト 2 複。〕
10. 敵たちを破ったある兵士たちはラッパ手を捕らえた。そしてまさに彼を殺さんとしたとき、「男たちよ」と彼は言った、「私を殺すな。なぜなら私はあなたがたのうちの誰をも殺さなかった。そのラッパ以外に、私はなにひとつ物をもっていないのを見てくれ」。すると (兵士たちは) 彼に向かって言った、「まさにそのことのゆえにおまえは死ぬにふさわしい。というのはおまえはみずからは戦わず、ほかの者たちを戦いに駆り立てているからだ」。〔ὁρᾶτε はここまでに習った事項では直説法現在 2 複「あなたがたは見ている」ととるしかないが、ここはむしろ命令法現在 2 複と解すほうが自然だろう。ἀποθανεῖν は ἀποθνῄσκω の第 2 アオリスト不定詞。〕
第 16 課 -ύς, -εῖα, -ύ 型および -ής, -ές 型の形容詞
練習 16
1. 経験のない者たちにとって戦争は甘美である。
2. その場所にはうまい水の泉がある。〔γλυκύς は味覚に快いということで、べつに砂糖のように甘い必要はない。英語の sweet も水について使うと fresh と同義で「悪くなっていない、大丈夫な」あるいは「真水の」の意味があるが、ギリシア語でも同様の用法がある。この文も「飲める水」くらいの意味かもしれない。〕
3. 彼はその人に、そのことは本当であるかどうかと尋ねる。
4. 好機は人間のところでは短い尺度をもつ。〔チャンスをつかめる時間は短いということ。〕
5. しばしば真実から嘘を分けることは困難である。
6. 詩人ヘーシオドスは徳の道を険しいと称していた。
7. 教育は、幸運な人々にとっては飾りであるが、不幸な人々にとっては避難所である。
8. 学問なき天性 [才能] は盲目であるが、天性なき学問は不完全にとどまる。
9. 足は速いが、風はもっと速く、思考はもっとも速い。
10. 人生は短いが、技術は長い。好機は速く (過ぎ去り)、経験は危うく (=あてにならず)、判断は難しい。〔最初の 2 項は ars longa, vita brevis というラテン語の形でも有名。ヒポクラテスの言葉なので、τεχνή「技術」(英 art) とは本来は医術について、それを修めるのにかかる時間の長さを言ったものだが、近代になって「芸術」の話に転用されるようになった。〕
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