vendredi 12 novembre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (11) ポケモン図鑑:エムリット

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事ではエムリットのポケモン図鑑説明文を扱う。


各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。


日本語版:エムリット

[D, X, OR]
かなしみの くるしさと よろこびの
とうとさを ひとびとに おしえた。
かんじょうのかみと よばれている。
[P, Y, AS]
みずうみの そこで ねむっているが
たましいが ぬけだして すいめんを
とびまわると いわれている。
[Pt, BW(2)]
エムリットが とびまわったことで
ひとびとに いきるときの よろこび
かなしみと いうものが うまれた。
[HGSS]
ひとびとの こころに よろこびや
かなしみなどの かんじょうを
もたらしたと いわれる ポケモン。
前回ユクシーの図鑑説明でも確認したとおり、ここにはミオ図書館の本に含まれない新たな情報が存しており、神話資料として参考にすべきゆえんがある。とりわけエムリットたちが「感情の神」「知識の神」「意思の神」というようにはっきり「神」と称せられていることは、ダイヤモンド版の図鑑によってのみ確認される貴重な事実である。じつは図鑑を除いては、ゲーム中でプレーヤーが読める文字資料のなかに、彼ら UMA トリオを「神」と称するものはひとつもないのである (セリフとしてはカンナギタウンの民家の老人と、プラチナ版ギラティナイベントにおけるアカギの 2 人だけが使っている。サイト『S²workerS’ web』所収、「ポケモンの神話集」と「ポケモンイベント全文集」を参照した)。

またパール版の語る、眠っているあいだに「魂が抜けだして水面を飛びまわる」という特徴はアイヌの霊魂観を下敷きにしている可能性があることを指摘しておこう。アイヌ語でラマッ (ramat) というのは「魂、霊魂」と訳しうる語のひとつであるが、アイヌでは「人が眠っているときとか、何かの原因で意識を失ったときなどは、ラマッが身体から抜け出て戻っていない状態であるとされる」という (山田孝子『アイヌの世界観』61 頁)。ただしこのような発想はかならずしもアイヌに限定されたものではなく、世界のあちらこちらで報告されている。


英語版:Mesprit [メスプリット]

[D] Known as “The Being of Emotion.” It taught humans the nobility of sorrow, pain, and joy.
[P] Although it slumbers at the bottom of the lake, its spirit is said to leave its body and flitter on the water surface.
([Y, AS] It sleeps at the bottom of a lake. Its spirit is said to leave its body to fly on the lake’s surface.)
[Pt] When Mesprit flew, people learned the joy and sadness of living. It was the birth of emotions.
[HGSS] This Pokémon is said to have endowed the human heart with emotions, such as sorrow and joy.
[D]「感情の化身」として知られる。人間たちに悲しみ・つらさ・喜びの尊さを教えた。
[P] 湖の底でまどろんでいるのだが、その魂は身体を抜けだし水面をひらひら飛んでいると言われる。
([Y, AS] 湖の底で眠っている。その魂は身体を抜けだし湖面を飛んでいると言われる。)
[Pt] エムリットが飛んだとき、人々は生きることの喜びと悲しみを知った。これが感情の誕生だった。
[HGSS] このポケモンが人間の心に悲しみや喜びといった感情を賦与したと言われている。
不思議なことに、パール版をわずかに書きなおしたような新しい文が第 6 世代の Y と AS で与えられている (残る X, OR は D と、BW(2) は Pt と変わっていない)。この改変は英語版だけにとどまっており、日本語版でもそれ以外の言語でも Y, AS はパールと同文である。

ダイヤモンド版では日本語の「悲しみ苦しさと喜びの尊さ」と違って、sorrow, pain, and joy という 3 つの感情を並べて「悲しみ苦しさと喜びの尊さ」を教えることになっているが、わざわざ sorrow に加えて pain を別に立てる理由はわからない (その据わりの悪さがゆえだろう、フランス語版とスペイン語版では悲しみと喜びの 2 つに戻っている)。よもや日本語版の最初の「の」を「と」と取り違えたのではあるまいな。

さて、すでに見たユクシーについてもそうであったが、欧米語版では UMA トリオについて「神」という語を用いておらず、そのかわりに be 動詞の不定詞または分詞形を立てている。かといって神を思わせる部分がまったくなくなったのではなく、大文字書きをした「至高の Being」——英 the Supreme Being, 独 das höchste Wesen, 仏 l’Être suprême, 伊 l’Essere supremo, 西 el Ser Supremo——といえばそれは「神」にほかならない。「神聖な Being」「永遠の Being」「無限の Being」「完全な Being」「第一の Being」などという場合も同様で、いずれも「神」を指す。

この語そのものは「存在」や「本質、本性」などと訳しうるがしっくり来ないし、「感情 (知識・意思) であるもの」とするのは厳密ではあっても意味はわからないだろう。基礎的であるがゆえにきわめて訳しにくい語である。要するに感情 (・知識・意思) を体現・具現する、それそのものであるところの存在ということだから、ここでは辞書的語義にとらわれず「化身」と意訳しておいた (これはこれで incarnation のことかと思いたくなるので語弊なしとしないが)。

一神教の世界観ではこれらを God とは呼べないのだろうが、さまざまなものや概念を神格化する多神教の世界観でなら「感情そのものである存在」とは「感情の神」と言うのとさして変わらない。そのあたりを欧米語版の読者が正しく読みとれていればよいのだが。図鑑の記述——シンオウの神観念——を誤解の余地なく伝えるには deity のような語を用いる選択肢もありえたはずで、現にディアルガパルキアの図鑑説明ではダイヤモンド版の「かみさま」という日本語を deity の語で写している。


ドイツ語版:Vesprit [ヴェスプリット,ヴェスプリー]

[D] “Das fühlende Wesen”. Es lehrt die Menschen die Ideale von Trauer, Schmerz und Freude.
[P] Es schläft auf dem Grund eines Sees. Man sagt, sein Geist verlasse den Körper und fliege über den See.
[Pt] Als Vesprit flog, lernten Menschen Glück und Trauer des Lebens kennen. Die Geburt der Gefühle.
[HGSS] Einst verlieh Vesprit den menschlichen Herzen die Fähigkeit, Freude und Trauer zu empfinden.
[D]「感ずる者」。それは人々に悲しみ・痛み・喜びの理想形を教えた。
[P] 湖の底で眠っている。その魂は身体を抜けだし湖上を飛んでいると言われる。
[Pt] エムリットが飛んだとき、人々は生きることの幸福と悲しみとを知るようになった。感情の誕生である。
[HGSS] かつてエムリットは人々の心に喜びと悲しみとを感覚する能力を賦与した。
内容については英語版と大差がない。名前の読みかたについて一言しておくと、ドイツ語で v の字はふつう [f] の音であるが、外来語ではたいてい [v] で読むことになっている。この場合もいかにも外来語というつづりであるから [v] とみなすことにした。

❀ Wiki には由来の候補として Vernunft「理性」や Verstand「理解力」を掲げており、そうだとすれば [フェ] と読むべきことになるが、前つづり ver- をもつ単語など無数にあるのに ve- だけの一致で絞ることは不可能であるし、意味からしてもエムリットの司る fühlen, Gefühl「感情」とはあまり相容れないようであるから、根拠があるとはまるで思えない。

また語末の発音であるが、名前の後半の由来でもある Esprit はフランス語からの借用語でありドイツ語でも [エスプリー] と読むし、同じくフランス語に由来する Belesprit「文芸愛好家、文学かぶれ」は [ベレスプリー] である。したがって教養のある人ほど発音は [ヴェスプリー] に寄るであろうと思われる。


フランス語版:Créfollet [クレフォレ]

[D] On l’appelle « être de l’émotion ». Il enseigne aux hommes la beauté de la tristesse, la douleur de la joie.
[P] Il dort au fond d’un lac. On dit que son esprit abandonne son corps pour voler à sa surface.
[Pt] Quand il prit son envol, les hommes apprirent à ressentir la joie et la peine. L’émotion était née.
[HGSS] On dit qu’il a apporté aux gens les sentiments comme la joie ou la tristesse.
[D]「感情の化身」と呼ばれている。人間たちに悲しみの美しさと喜びの苦しさを教える。
[P] 湖の底で眠っている。その魂は身体を抜けだしその表面を飛んでいると言われる。
[Pt] それが飛翔したとき、人間たちは喜びと苦悩を感受する術を学んだ。感情が生まれていたのだ。
[HGSS] それが人々に喜びや悲しみといった気持ちをもたらしたと言われている。
英訳の説明ですでに触れたとおり、このダイヤモンド版ではエムリットの教える感情が 2 種類に戻っており、「悲しみの〇〇と喜びの✕✕」という形式は日本語版と一致している。しかし「喜びの苦しさ」というのは理解に苦しむ。前半の「悲しみの美しさ」に対比する形であえて矛盾する形容をしたのだと納得することもできそうだが、ひょっとすると douleur「苦痛」ではなく douceur「甘美さ、心地よさ」の間違いなのではないだろうか? あるいは、そもそもこの 2 つがコンマでぶっきらぼうに並べられているのも違和感が強いので、英語版のように本当は 3 つの感情で la beauté de la tristesse, de la douleur et de la joie「悲しみと苦しみと喜びの美しさ」の脱字という可能性もある。

私は EU 版の DS やカセットを所有していないため自分で確認できないのだが、これはフランス語版 wiki の編集者の入力ミスなのか、あるいはゲームじたいに誤字があるのか、それとも本当にこのとおりの文を意図していたのか、3 通りの可能性が考えられる。『BD/SP』でどうなるか確認したい事項がまたひとつ加わった。

❀ Switch はリージョンによらずどの言語でもプレーできる。ただ、たいていのゲームでは本体設定で言語を切りかえればゲーム内もその言語になるのだが、ポケモンの場合はゲーム開始時に選んだ言語を変更することができない。おそらく「海外産」のポケモンを作ることの兼ねあいだろうが、他言語版のテクストを容易に閲覧することができないのではなはだ不便である。言語を変更するにはデータを最初から始めるほかなく、私も発売後すぐに確認するというわけにはいかないので、記事の更新日は未定である。


イタリア語版:Mesprit [メスプリット]

[D] Detto “Essere delle emozioni”. Ha insegnato agli uomini la nobiltà di tristezza, gioia e dolore.
[P] Dorme sul fondo di un lago. Si dice che il suo spirito abbandoni il corpo per volare in superficie.
[Pt] Al volo di Mesprit, gli uomini conobbero le gioie e i dolori della vita. In tal modo nacquero le emozioni.
[HGSS] Pare che sia stato Mesprit a mettere nel cuore degli umani sentimenti come gioia e tristezza.
[D]「感情の化身」と言われる。人々に悲しみ・喜び・苦しみの尊さを教えた。
[P] 湖の底で眠っている。その魂は身体を抜けだし表面上を飛んでいると言われる。
[Pt] エムリットの飛翔で、人々は生きることの喜びと苦しみを知った。このようにして感情が生まれた。
[HGSS] 人間たちの心のなかに喜びや悲しみといった気持ちを入れたのはエムリットだったようだ。


スペイン語版:Mesprit [メスプリット]

[D] Se le conoce como el “ser de la emoción”. Enseñó a los humanos la nobleza del dolor y la alegría.
[P] Duerme en el fondo de un lago. Se dice que su espíritu deja el cuerpo para volar sobre el agua.
[Pt] Voló, y los humanos aprendieron sobre la felicidad y la tristeza de vivir. Así nacieron las emociones.
[HGSS] Dicen que Mesprit lleva a los corazones de la gente los sentimientos de alegría y tristeza.
[D]「感情の化身」として知られている。人間たちに苦しみと喜びの尊さを教えた。
[P] 湖の底で眠っている。その魂は身体を抜けだし水上を飛んでいると言われる。
[Pt] それが飛ぶと、人間たちは生きることの幸せと悲しみとについて感得した。こうして感情が生まれた。
[HGSS] エムリットは人々の心に喜びと悲しみの気持ちをもたらすと言われている。
フランス語版については疑いもあったが、このスペイン語訳のダイヤモンド版は間違いなく感情を 2 種類だけに修正しており、この点で日本語版に近づいている。

またユクシーおよびアグノムの項目と同様、やはりスペイン語訳のみ HG/SS 版が現在形で語られている。ほかのバージョンの語るとおり、知識や感情を教えることは神話の過去における一回的なできごととして点過去で述べてもよさそうなものだが、スペイン語版の語り手は一貫して現在を選ぶ。前回論じたとおり、現代人がエムリットたちをアクチュアルな存在として実感していることの現れと解釈することができる。


総括

  • エムリットたちが「神」とされている点は、作中で読める文献と異なる特徴。
  • 眠っているあいだに魂が抜けだすことはアイヌ伝承の影響か。
  • エムリットは喜びと悲しみだけでなく苦しみも教える?(英語・ドイツ語・イタリア語版)

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