dimanche 24 octobre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (9) ハクタイシティのポケモン像

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では、ディアルガとパルキアが融合したような「ハクタイシティのポケモン像」に備えつけられている説明文——正確にはその欠けていない全文を記した、『プラチナ』版ギンガトバリビル内のレポートによる——を扱う。


各言語版のテクストは以下のサイトより引用した (各 wiki については、閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。またこれまでと違い、すべての言語版のテクストが首尾よく見つかるとは限らないことがあり、今回はフランス語版とスペイン語版を欠いている (もし載せているサイトやプレイ動画などをご存知のかたがいたらコメントでご教示いただきたい)。


日本語版

うみだされし ディアルガ
わたしたちに じかんを あたえる
わらっていても
なみだを ながしていても
おなじ じかんが ながれていく
それは ディアルガの おかげだ
うみだされし パルキア
いくつかの くうかんを つくりだす
いきていても
そうでなくても
おなじ くうかんに たどりつく
それは パルキアの おかげだ
使われている言葉はきわめて平易ではあるが、その言わんとするところを的確に理解することは案外難しい。まず第 1 のディアルガについての文章において、「笑っていても/涙を流していても」という部分は、この 2 つの情動によって感情一般を代表していると考えられる。そしてそれでも「同じ時間が流れていく」ということは、人間 (やポケモン?) の感情とは関わりなしに時間は流れる、つまり時間とは感情を超越したものであるということを言っているであろう。このことはディアルガ (とパルキア) がエムリットたちよりもさきに作られた上位の存在である事実と整合している。同様に、第 2 のパルキアについての文章は、人間やポケモンの命とは無関係に空間が存在しているということを述べていると思われる。

しかしそれにしては「同じ空間にたどりつく」という言いまわしは不可解だ。先行する超越的かつ不動のものとしての空間の存在を言うのであれば、「同じ空間が広がっている」のようにも言うことができるし、そのほうがディアルガの説明文ともきれいに対応する。すなわち「同じ時間が流れていく」の主語は「時間」であるが、「同じ空間にたどりつく」では主語は「空間」ではなくそれを背景として運動する何者かであって、これでは空間のほうは従たる存在になってしまう。

しかも「たどりつく」というのは目的地を必要とする動作であり、いま「同じ空間」はその目的地とされているのだから、この時点で隠れている主体がいるのはその「空間」とは違う場所であることになる。そして文脈上その主体とは「生きている者と生きていない者」と考えるほかない。「生きていない」という意味は曖昧であり、生者と死者 (=もはや生きていない者) を意味しているのか、それとも生物と無生物 (=最初から生きていない者) を指すのかも決めがたい。ただともかくそういう 2 種類に分けられた存在がいるとして、それらが共通にたどりつく「同じ空間」とはどこにあるどういう場所なのか、容易には答えを見いだしがたい。

❀ これが死者だけなら「やぶれたせかい」という単純な答えがありうるが、いまは「生きていても/そうでなくても」かかわりなく行きつく場所が問われているのである。それに「やぶれたせかい」を答えとするには「パルキアのおかげだ」という結びも障害になる。

いま私が提示した 2 点の大きな疑問はかならずしも見当はずれの深読みではなく、それどころか書き手もすでに想定していたと思われる。その証拠に、この文章の 2 行めでパルキアは「いくつかの空間をつくりだす」と言われており、「空間」は複数あることが明瞭である;そのことはディアルガの与える「時間」が唯一の単線的なものと思われるのと対照的なのである。「空間」はいくつも存在し、1 つではあくまでワンオブゼムにすぎないものであり、そのすべての「空間」群を集めてはじめて「時間」と対等なのであろう。これが第 1 の疑問への間接的な答えになる。

そして第 2 の疑問に関連して、空間が複数あるということはまた、生きている者のいる空間と生きていない者の空間、さらにそれらが共通に「たどりつく」ゴールたる第 3 の空間がありうることを保証する。唯一の巨大な「空間」があるのではなく、空間から空間への移動のように語られていることはしたがって矛盾ではない。とはいえそのゴールである「同じ空間」について具体的にその素性を明らかにすることは結局この資料だけからは不可能であろう。


英語版

The creation of DIALGA,
The giver of time...
In laughter, there is tears...
And, likewise it is with time.
The same time flows on.
For it is the blessing of DIALGA.
The birth of PALKIA,
The creator of parallel dimensions...
Alive, yet not alive...
Everything drifts in space...
To arrive in the same universe.
It is the blessing of PALKIA.
時間の施与者ディアルガの創造
笑いのなかに涙がある
さらにまたそれは時間とともにある
同じ時間が流れゆく
それはディアルガの祝福ゆえである
平行多次元の創造者パルキアの誕生
生きていても、生きていなくても
あらゆるものは空間のなかを漂流する
同じ宇宙にたどりつくために
それがパルキアの祝福である
新約聖書の πίστις Χριστοῦ Ἰησοῦ「キリスト・イエスの信」以来 2 千年に及ぶ言語の欠陥であるが、the creation of Dialga「ディアルガの創造」というときの of「の」は——欧米語でも日本語でも——両義的であり、「ディアルガを (誰か=アルセウスが) つくること」という目的語的属格と、「ディアルガが (なにか=時間を) つくること」という主語的属格のいずれにも解しうる。しかし次の「パルキアの誕生」と対応させるなら前者ととるのがここでは妥当だろう。

The birth of Palkia の直後は出典ではピリオドになっているのだが、ディアルガの対応箇所ならびに下のドイツ語版をも参照してコンマに改めた。文脈上これに続く 2 行めは Palkia に同格の説明であると思われるからである (ドイツ語版では dem Schöpfer という 3 格によりそのことが確実)。

ここでパルキアが創造するものは parallel dimensions「平行諸次元」とされており、とくに複数形で言われていることは、私が上で日本語文について指摘した内容の正しさを裏づけている。それでもその dimension「次元」とは何物なのかがよくわかったわけではないが、ただそれらが「平行」する関係にあるという事実は日本語だけからは導きだせないひとつの収穫といえる (このことは日本語版ではパルキアのパール版図鑑説明にしか書かれていないと思う)。

一方でしかしながら、ここでは生きている者とそうでない者とが運動する場は space と単数無冠詞のきわめて漠然とした形で言われている。さらにそれらが向かう同一の目的地が universe という名詞で名指されていることが問題である。

これまでに扱ったテクストのうちで——言語によって揺れはあるが——「世界」と「宇宙」という単語の用例を探しだしてみると、「始まりの話」「シンオウ昔話その 1」「プレートから読みとくシンオウの始まり」に前者は各 1 例ずつの計 3 例、後者はプレート銘文にのみ 2 例見られる。そのいずれにおいても「世界」とは時間と空間、そして心が生まれたあとの、より具体的で完成された舞台について使われているのに対し、「宇宙」はアルセウスだけが存在する原初的で未完成の場を指しているように観察される。

してみると、ここであらゆるものが漂着する先が universe であるというのは、生も死も心もなくなった始原の世界へ回帰するということを示唆しているのであろうか。そして生きている者といない者、万物がそこに逢着したあと、すべての材料を取り戻したその宇宙はサイクリック宇宙論よろしく、またアルセウス——それも新たなべつの個体でありうる——によって創造の過程を反復されるのかもしれない……と考えを進めてみると、シンオウ神話はこれまで思われてきたよりもさらに一段上の壮大なスケールを有していることになる。もっとも、universe の数少ない用例からあまり確実なことは推論しがたいので想像の域を出ないのであるが。


ドイツ語版

Die Schöpfung von DIALGA,
dem Meister der Zeit...
Im Lachen steckt Weinen...
Und umgekehrt verhält sich die Zeit.
Die gleiche Zeit fließt weiter.
...Der Segen von DIALGA ist mit allen.
Die Geburt von PALKIA,
dem Schöpfer der Paralleldimensionen...
Lebendig und doch nicht...
Schwebende Risse im Raum...
Um im selben Universum zu wirken.
...Der Segen von PALKIA ist mit allen.
時間の主ディアルガの創造
笑いのなかに泣きが潜む
そして逆の関係に時間はある
等しい時間がさらに流れる
ディアルガの祝福がすべてとともに
平行多次元の創造者パルキアの誕生
生きていても、そうでなくても
漂っている空間の裂け目
同じ宇宙に作用するために
パルキアの祝福がすべてとともに
全体的に意味をとりづらい文章。とくにパルキアの 3–5 行め (訳文では 2–4 行め) が不可解で、これで 1 文のはずなのに、ディアルガの対応箇所と違って定動詞がひとつもない。あるとすれば 4 行め (訳文 3 行め) だから、もしかして Risse が小文字の risse であれば「漂う者は空間を裂いて駆けた」ととれなくもないが、それでも意味が通るとは言いがたい。そもそも英語版の文章が意味不明瞭なので、独訳者もよくわからないまま訳させられたのではないか。


イタリア語版

La creazione di DIALGA,
Il datore del tempo...
La gioia cela le lacrime...
E così il tempo.
Il tempo stesso scorre continuamente.
Poiché è la benedizione di DIALGA.
La nascita di PALKIA,
Il creatore di dimensioni parallele...
Vive, ma al tempo stesso non vive...
Tutto fluttua nello spazio...
Per arrivare nello stesso universo.
È la benedizione di PALKIA.
時間の施与者ディアルガの創造
喜びは涙を隠す
時間もまた然り
同じ時間が絶え間なく過ぎ去ってゆく
それがディアルガの祝福であるゆえに
平行多次元の創造者パルキアの誕生
それは生きている、だが同時に生きていなくもある
一切は空間のなかで揺れ動く
同じ宇宙にたどりつくために
それがパルキアの祝福である
ディアルガの解説文において、日本語版は決して文章じたいに難しいところはないのに、英訳は「笑いのなかに涙がある/さらにまたそれ (=涙) は時間とともにある」という意味不明の文を作った。ドイツ語訳はそれをさらに混乱させたが、イタリア語版はむしろ合理化して「喜びも時間も涙を覆い隠すのだ」という理解しやすい内容にして辻褄をあわせたようだ。「時間が涙を隠す」とは、悲しみは時間の経過によって癒やされるという意味に解せる。なんだかラテン語の名句にでもそのままありそうな感じのするすっきりした主張で、もしかして日本語版も本来そういうことを言いたかったのでないかとさえ説得されそうだ。

これらの文章は « ... » で終わる行が多くて、どこまでがひと続きの文なのかかならずしも判然としないが、パルキアの 3 行めの動詞 vive, non vive「生きている/いない」の主語は、次の文の tutto を先取りするということは不可能だから、前文のパルキアと考えざるをえない。だが「誕生」したパルキアが「生きていない」というのはおかしいだろう (日本語であれイタリア語であれ、nascita「誕生」は origine della vita「生命の始まり」という意味、nascere「生まれる」は entrare in vita「生きている状態に入る」ことである)。パルキアは神だからふつうの言葉では捉えられないとでもいうのだろうか?

❀ じつは文法的にはもうひとつ解釈の可能性がある。vive という形は動詞 vivere「生きる」の活用形のほかに、形容詞 vivo「生きている」の女性複数形でもありうる。そして女性複数名詞はこの直前に dimensioni parallele「平行諸次元」がたしかにある。だが「次元」が生きているとかいないとかいうことは輪をかけて意味をなさないので、やはりパルキアと考えるしかない。


総括

  • 時間・空間の存在は生きものの生命や感情よりも先行し、独立する前提であることを述べている。
  • 「時間」は唯一の 1 次元的な実体だが、「空間」は平行していくつも存在している。
  • 生きている者と生きていない者がともにとある「同じ空間」を目指している。
  • その目的地の「空間」とは生命も心もない始原の宇宙か? そしてふりだしに戻った宇宙は循環を繰りかえす?

dimanche 3 octobre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (8) プレートから よみとく シンオウの はじまり

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では、(ちかつうろを除く地上で) プレートを入手したときに初回のみ読める、プレート裏面に刻まれた銘文を資料とする「プレートから よみとく シンオウの はじまり」を扱う。


各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし 8 種の銘文の掲載順は各 wiki によってまちまちであり、ここでは統一のため日本語版の順番にそろえて並びかえ、あわせて比較用に番号を付した。


日本語版:プレートから よみとく シンオウの はじまり

〔シンオウで はっけん される ふるい プレートに きざまれた〕
[1] うちゅう うまれるまえ そのもの ひとり こきゅうする
[2] うちゅう うまれしとき その かけら プレートとする
[3] プレートに あたえた ちから たおした きょじんたちの ちから
[4] そのもの じかん くうかんの 2ひき ぶんしんとして よに はなつ
[5] そのもの じかん くうかんを つなぐ 3ひきの ポケモンをも うみだす
[6] 2ひきに もの 3ひきに こころ いのり うませ せかい かたちづくる
[7] うまれてくる ポケモン プレートの ちから わけあたえられる
[8] プレート にぎりしもの さまざまに へんげし ちからふるう
各行の冒頭に振ってある番号は、各国語版との対応と説明の便宜上つけたもので原文にはない。一般的な解釈として、[1, 4, 5] の「そのもの」はアルセウス、[4, 6] の「2ひき」はディアルガとパルキア、[5, 6] の「3ひき」はユクシー・エムリット・アグノムの UMA トリオを指すことは、これまで見てきた神話と対比して疑いなく、またこのプレート銘文にのみ見える [3] の「きょじんたち」とは太古にレジギガスの創ったもしくは同胞であったレジシリーズ (レジ系) であろうかと言われている。


英語版:Sinnoh’s Beginning as Told on Plates

[1] “The Original One breathed alone before the universe came.”
[2] “When the universe was created, its shards became this Plate.”
[3] “The power of defeated giants infuses this Plate.”
[4] “Two beings of time and space set free from the Original One.”
[5] “Three beings were born to bind time and space.”
[6] “Two make matter, and three make spirit, shaping the world.”
[7] “The powers of Plates are shared among Pokémon.”
[8] “The rightful bearer of a Plate draws from the Plate it holds.”
[1] はじまりのものは宇宙が生じるまえひとり呼吸していた。
[2] 宇宙が創られたとき、その破片がこのプレートになった。
[3] 敗れた巨人たちの力がこのプレートを満たしている。
[4] 時間と空間の 2 つの存在がはじまりのものから解き放たれた。
[5] 3 つの存在が時間と空間を結びつけるため生まれた。
[6] 2 つは物質を、3 つは精神を作り、この世界を形づくる。
[7] プレートの力はポケモンたちのあいだに共有されている。
[8] プレートの正しき担い手はそれがもつプレートから〔力を〕引きだす。
注目すべき日本語版との相違は [8] だろう。この前半では日本語版が「プレート握りし者」としか言っていなかったところを rightful bearer「正しき担い手」と表現されており、本来の用途でプレートを使うには正当な資格が必要であることがわかる。一方で後半はただ「力を引きだす」という抽象的な言明になっているが、ここは日本語版では「さまざまに変化し」とありいわゆるフォルムチェンジをすることが明確に読みとれる。厳しい文字数制限のなかで文をまとめねばならなかったどちらも一長一短といえよう。

また [2] には一見些細と見えるが重大な異同がある。この前半は日本語版では「宇宙生まれしとき」という自動詞的表現だが、英訳では was created「創られた」という他動詞の受動態で創造主アルセウスの作為を暗示している。反対に後半は日本語版では「プレートとする」という能動なのに対し英語版は became「となった」という自動詞で言われている。宇宙創造とプレート形成のそれぞれに関してアルセウスがどのように関与しているかについて理解が異なっているようだ。

[6] も日本語版と比べてみるとだいぶ違うが、その差異の意味するところを正しく推察することは難しい。日本語では「こころ いのり うませ」という表現であったが、「生ませ (る)」という使役が英訳では消えているのに加えて、2 つのもの=ディアルガ・パルキアが作るのは matter「物質」であるとされており、ほかの神話テクスト——とくに「はじまりのはなし」——との調和が図られている。これに関連して示唆的であるのは、カンナギタウンの壁画に「心も空間」と言われていることである。すなわちパルキアが作る物質/空間には「心」も含まれているのであるから、いくらかギャップは埋められることになる。


ドイツ語版

[1] “Das Ursprüngliche atmete, da war das Universum noch nicht geboren.”
[2] “Als das Universum entstand, entstand diese Tafel aus einem Splitter.”
[3] “Die Kraft besiegter Giganten speist diese Tafel mit Energie.”
[4] “Zwei Wesen von Zeit und Raum wurden aus dem Ursprünglichen geboren.”
[5] “Um Zeit und Raum miteinander zu vereinen, wurden drei Wesen geboren.”
[6] “Zwei sind Materie, drei sind Geist und bilden gemeinsam die Welt.”
[7] “Die Kräfte der Tafeln werden von allen Pokémon geteilt.”
[8] “Dem rechtmäßigen Träger einer Tafel soll ihre Kraft verliehen werden.”
[1] 原初のものは宇宙がまだ生まれていなかったときに息づいていた。
[2] 宇宙が生じたとき、このプレートは破片から生じた。
[3] 敗れた巨人たちの力がこのプレートにエネルギーを供給する。
[4] 時間と空間の 2 つの存在が原初のものから生まれた。
[5] 時間と空間をたがいに調和させるために 3 つの存在が生まれた。
[6] 2 つは物質、3 つは精神であって、共同して世界を形づくる。
[7] プレートの力はすべてのポケモンに分け与えられている。
[8] プレートの正当な担い手にその力は付与されるべきである。
[6] では 2 つのもの=物質、3 つのもの=精神という表現がなされている点で異色である。さらにこれらのあわせて 5 者が gemeinsam「共同して」世界を作ると言われている、つまり物質と精神とから世界は成っているのだということが明確である。

ここにきて興味深いと思われるのが、日本語版でもほかのどの言語でも、Universum「宇宙」と Welt「世界」とが截然と区別されて用いられていることである。「宇宙」をつくれるのはひとりアルセウスだけであり、これに引きつづく 5 者——あるいはギラティナも含めた 6 者?——は「世界」をつくるとされる。あたかも「世界」は「宇宙」に含まれる、より小さな領域のようであるが、具体的にどの範囲が「世界」と呼ばれているのかは定かでない。


フランス語版

[1] « L’Être Originel respirait seul avant que l’univers ne soit. »
[2] « Quand l’univers fut créé, ses fragments formèrent cette Plaque. »
[3] « Cette Plaque contient le pouvoir des géants vaincus. »
[4] « Deux êtres du temps et de l’espace libérés par l’Être Originel. »
[5] « Trois êtres furent créés pour lier le temps et l’espace. »
[6] « Deux créent la matière et trois créent l’esprit, façonnant le monde. »
[7] « Les pouvoirs des Plaques sont partagés entre les Pokémon. »
[8] « Le porteur légitime d’une Plaque peut en maîtriser le pouvoir. »
[1] はじまりのものは宇宙が在るまえからひとり呼吸していた。
[2] 宇宙が創られたとき、その破片がこのプレートを形成した。
[3] このプレートは敗れた巨人たちの力を含んでいる。
[4] 時間と空間の 2 つの存在がはじまりのものによって解き放たれた。
[5] 3 つの存在が時間と空間を結びつけるために創られた。
[6] 2 つは物質を、3 つは精神をつくり、世界をこしらえた。
[7] プレートの力はポケモンたちのあいだに共有されている。
[8] プレートの正当な担い手はその力を自在に利用できる。


イタリア語版

[1] “La Creatura Originaria esisteva prima ancora dell’universo.”
[2] “Quando fu creato l’universo, i suoi cocci crearono questa lastra.”
[3] “Questa lastra racchiude la potenza sprigionata da giganti sconfitti.”
[4] “La Creatura Originaria diede vita a due creature, una del tempo e una dello spazio”
[5] “I tre esseri nacquero per vincolare il tempo e lo spazio.”
[6] “Due forgiarono la materia e tre lo spirito, dando vita al mondo.”
[7] “I Pokémon traggono potenza dalle lastre.”
[8] “Il legittimo portatore delle lastre cambia a seconda della lastra che porta.”
[2′] “I frammenti della creazione dell’universo compongono questa lastra.”
[5′] “Videro la luce tre creature che congiunsero il tempo e lo spazio.”
[8′] “La lastra infonde potenza a chi è degno di possederla.”
[1] はじまりのものは宇宙よりもなお前から存在していた。
[2] 宇宙が創られたとき、そのかけらがこのプレートをつくった。
[3] このプレートは敗れた巨人たちから放たれた力を含んでいる。
[4] はじまりのものは 2 つの生きものに生を与えた。1 つは時間、1 つは空間の。
[5] 3 つの存在が時間と空間を結びつけるために生まれた。
[6] 2 つは物質を、3 つは精神を鍛え、世界を生みだした。
[7] ポケモンたちはプレートの力を引きだす。
[8] プレートの正当な担い手はそれがもつプレートに応じて変化する。
[2′] 宇宙創造の破片がこのプレートを構成している。
[5′] 時間と空間とを接合する 3 つの生きものが光を見た (=生まれた)。
[8′] プレートはそれを所有するにふさわしき者に力を吹きこむ。
イタリア語版の wiki にはなぜか 11 本の文が同列に箇条書きされているのだが、私じしんイタリア語版のゲームをプレーして確認したわけでないのでこれがどういうことなのかはわからない。読んでみるかぎり、余っている 3 文 [2′, 5′, 8′] はそれぞれ [2, 5, 8] とかなりよく似た内容を述べている (繰りかえすが並び順は一定しておらず番号も本来ついていないので、英文によりよく対応すると私が判断したものに同じ番号を振り、残りをプライム ′ と決めたまで)。

もしこの 11 種類がすべてゲームプレーに現れるのであれば、あるいは本当は全部で 16 種類があって [1, 3, 4, 6, 7] に似た内容の別伝もあり、wiki の編集者が確認しきれていないだけかもしれない。その傍証として、上掲 [1, 4, 7] の文の対応がいささか弱いことを指摘できる。[1] は他言語では共通して「ひとり・孤独に」(独のみこれを欠く) と「呼吸する」という語句が、また [4] では「世に放つ・解放する」といった言いかた、[7] は「分け与える・分かちあう・共有する」を意味する単語が、翻訳の壁を超え一致して用いられているところ、イタリア語版のみそういう表現がなされておらず浮いているのである。ここからこれらの文は正しくは [1′, 4′, 7′] にあたる可能性がある。

だがこの推測が肯綮にあたっているとすれば、なぜイタリア語版だけ 16 枚のプレートそれぞれに丁寧に文を用意したのかという謎は残る。これはひょっとすれば本来はどの言語でも 16 通りの銘文があったのではないかという想像も可能である。よく考えたらプレートが 16 枚あるのに 2 枚ずつ同じ文が刻まれているというほうが不自然ではないか。類似しているが若干内容が異なる別伝があるという性質はいかにも神話らしくていいと思うのだが、完成段階で冗長とみなされて削られてしまった、そのなごりがイタリア語版なのかもしれない。


スペイン語版

[1] «El original respiraba en solitario antes de que llegara el universo».
[2] «Cuando el universo fue creado, sus fragmentos formaron esta tabla».
[3] «El poder de los gigantes derrotados se encuentra en esta tabla».
[4] «Dos seres del tiempo y el espacio se liberaron del original».
[5] «Tres seres nacieron para unir el tiempo y el espacio».
[6] «Dos crean la materia y tres crean el espíritu para dar forma al mundo».
[7] «Los Pokémon comparten los poderes de las tablas».
[8] «El legítimo portador de una tabla recibe poder de dicha tabla».
[1] はじまりのものは宇宙が生じるまえ孤独に呼吸していた。
[2] 宇宙が創られたとき、その破片がこのプレートを形成した。
[3] 敗れた巨人たちの力がこのプレートのなかに存在している。
[4] 時間と空間の 2 つの存在がはじまりのものから解き放たれた。
[5] 3 つの存在が時間と空間を結合するために生まれた。
[6] 2 つは物質を、3 つは精神をつくり、世界を形成した。
[7] ポケモンたちはプレートの力を共有している。
[8] プレートの正当な担い手は前記のプレートの力を受けとる。


総括

  • プレートには本来の力を引きだす正当な使い手がおり、それがアルセウスである。
  • 神話の語りにおいて「宇宙」と「世界」とは峻別されている。
  • プレート銘文は制作段階では 16 種あった可能性がある。

jeudi 30 septembre 2021

シンオウ神話翻訳集成 (7) シンオウ むかしばなし

旧作『ダイヤモンド/パール』における「シンオウ神話」の読みなおしを期して、ここに日本語版と欧米 5 言語版との翻訳比較ならびに考察を試みる。この記事では「シンオウ むかしばなし」その1およびその2を扱う (その3は別途過去記事で詳述したので省略)。


各言語版のテクストは以下の各国語版ポケモン wiki より引用した (閲覧した版はこの記事時点における最新版)。ただし改行位置などについて細かな改変をとくに断らずに加えた場合がある。


日本語版:シンオウ むかしばなし その1

うみや かわで つかまえた
ポケモンを たべたあとの
ホネを きれいに きれいにして
ていねいに みずのなかに おくる
そうすると ポケモンは
ふたたび にくたいを つけて
この せかいに もどってくるのだ
おくりのいずみともどりのどうくつにまつわる説話であろう。この記述をアイヌと関連づけることは多分に疑わしい。まずときどき言われているようなイオマンテとは共通点が少なすぎるように思われる。イオマンテというのはふつうクマ送りと訳され、1 年ないし数年をかけて村ぐるみで大事に育てた子グマを最後に殺して魂を天に送る、アイヌ最大の儀式である。一方ここで語られている民話では対象とされるポケモンは陸ではなく海や川でとれたものに限られているし、骨を水に送るという部分も一致していないし、特別な機会ではなく年中の食事すべてについて行われる習慣のように読める (食べたあとの骨を長期間とっておけるわけがないから)。肉体をつけてまた戻ってくるという点も、べつにイオマンテで送られたクマだけではなくちゃんと敬意を払って狩った獲物はみんな戻ってきてくれるのである。この儀式と結びつけるべき根拠はひとつもないようである。

魚が骨から生きかえるという点では、チェパッテカムイとの連想はもう少し有力かもしれない。アイヌの神謡では鹿と鮭にはユカッテカムイ「鹿を増やす神」とチェパッテカムイ「魚を増やす神」という増やす専門の神がいて、「そのカムイたちが袋の中からシカの骨やサケの骨をばらまくと、地上を幾多のシカの群れ、サケの群れとなって、駆け回り泳ぎ回るという話」がたくさん伝わっているそうだ (中川裕『アイヌの物語世界』改訂版 61 頁)。

だがこれは、鹿と鮭が無尽蔵とも見えるほど獲れたところから「誰かがどこかで一生懸命増やしてい」るのだろうという理由づけを与える神話である。骨をばらまくのはそのカムイが勝手にやっていることであって、人間が水に送るという儀式があるのではない。このように大量に獲れる鮭については、カムイチェㇷ゚と呼ばれる特別なリーダ個体だけは「別扱いにして、イナウキケでくるんでお祀りするという話で、一般のサケに対してはそんなことはしない(あまりにもたくさんとれるので、いちいちする余裕はない)」と証言されている (同所)。それに鹿が含まれることからもやはり水棲生物に限った話でもない。関連を考えるとしてもかなり間接的と言わねばならないだろう。

如上の理由により、この話に関してはアイヌの儀礼に原型を求めることに私は懐疑的である。獲物の肉や魚はカムイからの贈り物であるというアイヌの信仰をひとつの背景として取り入れつつも、具体的なところはお盆の精霊 (しょうりょう) 送り・灯篭流しのような和人の風習に材をとっているのではなかろうか。ただ、しょせん私のアイヌに関する知識はほんの 5, 6 冊の本で勉強した程度のものなので、もし元ネタとしてもっとぴったりくる話をご存知のかたがいらしたらコメントで典拠をご教示いただきたい。


英語版:Sinnoh Folk Story 1

Pick clean the bones of Pokémon caught in the sea or stream.
Thank them for the meals they provide, and pick their bones clean.
When the bones are as clean as can be, set them free in the water from which they came.
The Pokémon will return, fully fleshed, and it begins anew.
海や川でとらえたポケモンの骨をきれいにこそげとりなさい。
与えていただく肉に感謝し、骨まできれいに平らげなさい。
できるかぎり骨がきれいになったら、来たところの水に放してやりなさい。
ポケモンはちゃんと肉をつけて戻ってきて、またもとどおりになるでしょう。
第 3 行では当のポケモンが獲れたところの水に戻してやるのだと明確に補われている。これではおくりのいずみが特別な儀式の場であると解することはできず、人間の集落ごと・漁場ごとにそれぞれの場所で送られていたことになる。もちろんおくりのいずみで獲れたポケモンだけはおくりのいずみで送るわけだが、あの場所を特別視するほど多くの獲物がとれたとは思えないし、もしそうだとすればもっとべつの縁起のいい名前——豊漁の泉とか?——がついたはずだろう。だが英語版でもこの場所は Sendoff Spring と呼ばれている。英語版のこの昔話はおくりのいずみでの儀式がシンオウじゅうに広まったあとのものか、あるいは順番は逆かもしれないがともかく異なる時代の記述といえよう。


ドイツ語版:Sinnoh Volkssage 1

Säubere die Knochen der Pokémon, die du in einem Meer oder Fluss gefangen hast.
Danke ihnen für die Nahrung, die sie dir spenden, indem du ihre Knochen säuberst.
Hast du das getan, wirf die Knochen wieder zurück ins Wasser, aus dem sie kamen.
Die Pokémon werden aus den Knochen neu entstehen und der Kreislauf beginnt von neuem.
海や川で獲ったポケモンたちの骨をきれいにしなさい。
それらが恵んでくれる栄養に感謝して、それらの骨をきれいにしなさい。
それをしたら、それらが来たところの水のなかへ骨を放りこんで帰してやりなさい。
ポケモンたちはその骨から新たに生まれて、あらためて循環が始まるでしょう。
骨の返しかたがここでは werfen「投げる、放る」という動詞で指示されており、いささか乱暴に響く。とくに「ていねいに」という副詞があった日本語からはずいぶん遠ざかったようである。

ところで、ドイツ語版のおくりのいずみの名前は Scheidequelle というが、これはなかなか気の利いた翻訳である。この Scheide- という部分は多義的であるが、ここで関係すると思われるのは次の 2 つの意味だ:ひとつは Scheidelinie「境界線」や Scheidepunkt「分岐点、分かれ道」におけるように、「境界、境目、分かれ目」といった意味、もうひとつは Scheidebrief「別れの手紙=離縁状、離婚届」や Scheidegruß「別れの挨拶」のような「別れ、別離」の意味である。2 つといっても両者の意味はもちろん密接につながっている。日本語でも「分かれ」と「別れ」は同源である。そのことを考慮してこの地名は「わかれのいずみ」とでも訳せよう。泉は死んだポケモンと「別る」場にして、この世とあの世とを「分かる」境界面でもある。


フランス語版:Contes Populaires de Sinnoh, Partie 1

Régalez-vous d’un Pokémon attrapé dans une mare ou un ruisseau.
Remerciez-le pour ce repas, et ne laissez pas de restes.
Quand ses os sont blancs comme l’albâtre, déposez-les au point d’eau qui a vu naître ce Pokémon.
Le Pokémon réapparaîtra, bien en chair, pour commencer une nouvelle vie.
海や小川で獲ったポケモンを心ゆくまで賞味しなさい。
その食事に感謝して、残さないようにしなさい。
その骨がアラバスターのように真っ白になったら、そのポケモンが生まれた水源にそれを降ろしてやりなさい。
ポケモンはまるまると肉をつけて再生し、新たな生を始めるでしょう。
1 文めの動詞が se régaler「ごちそうを食べる・楽しむ、舌鼓を打つ」に変わっている。これは英語版の pick clean「きれいに平らげる」を 2 行にわたって繰りかえしているという下手な作文をそのまま移すことを避けたがったためだろう。その勢いで 2 行めも独自の内容に変わっているが、骨をきれいにすることは 3 行めの前半だけでわかるのでいちいち最初の 2 行では言わずに済ませているわけだ。

参考までにフランス語版のおくりのいずみは Source Adieu「さよならのいずみ」という。アデューというのは文字どおり「神のもとで」の意味であり、ふつうの別れの挨拶ではなく長いもしくは永劫の別れを含意する言葉である (方言ではふつうの挨拶にも使うというが)。これなどはまさに翻訳を参照する効用の好例といえよう。日本語の「おくり」、英語の ‘Sendoff’ などは、それだけでは「死別、二度と会えない別れ」というニュアンスを確実に伝えないから、われわれはたとえばこの「シンオウ昔話」を読むことやギラティナのイベントを通して「おくりのいずみ」の意味を推察するわけだが、フランス語名にあたればそこのところがただちにはっきりするのである。


イタリア語版:Prima storia popolare della regione di Sinnoh

Pulisci bene le ossa dei Pokémon catturati in mare o nei torrenti.
Ringraziali per i pasti che forniscono e puliscine bene le ossa.
Quando le ossa saranno completamente ripulite, rimettile nell’acqua.
I Pokémon torneranno, con nuova carne attorno alle ossa e potrai ricatturarli.
海や渓流で獲ったポケモンたちの骨はすっかりきれいにしなさい。
それらが与えてくれる食事に感謝し、骨をすっかりきれいにしなさい。
骨が完璧にきれいになったら、それを水に戻しなさい。
ポケモンたちはその骨に新たな肉をつけて戻ってくるから、またそれを獲ることができるでしょう。
3 行めでは返すべき水がただの acqua「水」という以上になんら指示されていない、この点では日本語版に立ちかえっているようである (実際にイタリア語訳者が参照したかは別として)。もう 1 点大きな違いとしては、最後の部分でポケモンが新たな命を取り戻すというのでなく、人間の立場——動詞 potrai は 2 人称単数で聞き手一般への呼びかけになっている——でまた漁獲できるという表現になっている。


スペイン語版:Historias populares de Sinnoh, Primera historia

Limpia los huesos de los Pokémon atrapados en el mar o en un arroyo.
Agradéceles la comida que proporcionan y limpia completamente los huesos.
Cuando los huesos estén tan limpios como el agua de la que provienen, devuélvelos a esta.
Los Pokémon regresarán, con un nuevo cuerpo y una nueva vida.
海や小川で獲ったポケモンの骨をきれいにしなさい。
それらが提供してくれる食事に感謝し、骨を完璧にきれいにしなさい。
骨がそれらの来たところの水と同じくらいきれいになったら、それらをそこへ戻してやりなさい。
ポケモンたちは新しい肉体と新しい命をもって戻ってくるでしょう。
1 行めでは arroyo「小川、細流」という単語が使われているが、ふつうの川を指す río と言ってもいいところである (たとえば川魚は pez de río だし、「鮭が川を遡る」という場合も los salmones remontan el río と言える)。じつはこの問題はフランス語でも同様で、川を表す単語はたくさんあるのにそのなかでもいちばん小さい川を指す ruisseau が用いられていた。またイタリア語版ではとくに激しい急流・渓流を指す torrente と言われている。おそらくこのようなばらつきの原因は英語版があえて river ではなく stream を使ったせいかと思われ、各訳者はそこになんらかの含みを読みとってしまったのかもしれない。stream はたしかにしばしば小川を指すのではあるが、river をも含めた河川一般を指す単語であるから、これは彼らの誤解である。

このスペイン語版は 3 行めの訳しかたも奇異な感じがある。tan limpios como el agua「水と同じくらいきれいに」と言うのだが、骨に肉片が残らないくらいきれいにというのと水のきれいさを比べるのは違うような気がする (スペイン語話者には通じるのか?)。


小括

  • いかにも元ネタがありそうだが、管見のかぎりアイヌに該当例は見あたらない。
  • 骨を送りかえす水場は漁をした場所? おくりのいずみ?
  • 獲れた場所だとすればおくりのいずみはなぜそう呼ばれるかという問題が生じる。


日本語版:シンオウ むかしばなし その2

もりのなかで くらす
ポケモンが いた
もりのなかで ポケモンは かわをぬぎ
ひとにもどっては ねむり
また ポケモンの かわをまとい
むらに やってくるのだった
こちらは明確にアイヌがモチーフである。まず根本的な話からするが、「かつてのアイヌにとって、この世界は二種類の精神的存在によって構成されていると考えられていた。ひとつはアイヌ=『人間』であり、もうひとつがカムイと呼ばれるものである。このカムイという言葉はひとことで言ってしまえば、『人間にない力を持ったものすべて』を指す言葉である」(中川裕『アイヌの物語世界』23 頁)。以前にも少し触れたのだが、〈カムイ=ポケモン〉というアナロジーはここから理解できる。

これをわかってもらったうえで、カムイに関する次の記述を読んでみてほしい:「カムイたちは、カムイモシㇼでは人間と同じ姿をしているといわれる。(中略) カムイたちが人間の前に姿を現すときは、それぞれよそいきの衣裳をつけてくる。たとえばクマの神であれば、肉を人間へのお土産として背負って、その上に立派な毛皮のコートを着てやってくる。その衣装を身にまとうと、私たちが写真や動物園で知っている、あのクマの姿になるというわけなのだ」(同書 25 頁)。カムイたちは神の領域にいるときは皮を脱いで人間の姿に戻っている、そして人間の領域に来るときには動物の皮をまとってくる。「シンオウ昔話」と完全に符合していることがわかるだろう。

私はアイヌについて勉強するまえ、この「シンオウ昔話」を予備知識抜きに純粋に読んだときにはどうにも腑に落ちなかった。森のなかでわざわざ皮を脱いで人間に戻るというのは逆なのではないか、危険な森のなかでこそ頑強なポケモンの姿をとり、人間の村ではむしろ人間の姿をとって溶けこめばよいではないかと思っていたのだ。この話は単独で読んで合理的に理解することは難しい。それはアイヌの信仰をそのままもってきていることが理由なのだとわかったときとてもすっきりする思いがした。おそらく『DPt』——そして『BD/SP』と『LEGENDS アルセウス』——の作中にはほかにもこのような解明を待っている謎が存在しているのではないだろうか。


英語版:Sinnoh Folk Story 2

There lived a Pokémon in a forest.
In the forest, the Pokémon shed its hide to sleep as a human.
Awakened, the human dons the Pokémon hide to roam villages.
森のなかで暮らすポケモンがいた。
森のなかでそのポケモンは皮を脱ぎ捨て人間として眠った。
目覚めるとその人間はポケモンの皮をまとって村々を巡った。
私が日本語版のテクストを読むとき、「その1」や「その3」との総合的理解、さらには先述したようなアイヌ的理解もあいまってか、この「ポケモン」は一般論的な複数を言っているように解していたので、ここで英語版が単数を使ってきたのを見て驚いた。しかし考えてみればこれはあくまで昔話のひとつであって、かならずしもポケモン世界の過去の歴史を物語るものではないし、「その1」「その3」とも独立したエピソードである。ひとつの昔話として特定不能の 1 匹のポケモンを主人公に立てた物語とすれば別段おかしなところはない。

それにしてもこの昔話には続きというものがあるはずだ。人間の格好をして村にやってきたあとどうなったのだろうか。どんなに短い絵本だって、たったこれだけで 1 冊が終わるということはない。英語版では 3 文、日本語版だと 2 文でたったの 68 文字 (スペース除く) である。ゲームの主人公はこんな序盤で本を閉じないで、ちゃんと最後まで読んでもらいたいものである。


ドイツ語版:Sinnoh Volkssagen 2

Einst lebte ein Pokémon in einem Wald.
In diesem Wald legte das Pokémon seine Haut ab und schlief wie ein Mensch.
Als es erwachte, hatten Menschen seine Haut genommen und übergezogen.
Sie plünderten Dörfer in der Gestalt dieses Pokémon.
昔あるポケモンが森のなかで暮らしていた。
この森のなかでポケモンは皮を脱ぎ去り人間のように眠った。
そのポケモンが目覚めたとき、人間たちはそれの皮を奪って身にまとった。
彼らはこのポケモンの姿で村々を略奪した。
???????? 唖然。ドイツ語訳者、どうした……?? 今回までで私はミオ図書館のすべてのテクストを訳したことになるが、最後にここにきて衝撃の展開、まるで意味がわからない。3 行めから訳のわからないことが起こっている。なぜか複数の Menschen「人間たち」が登場し、そいつらは最初のポケモンとはべつの存在らしく、ポケモンが脱いでいた皮を奪っていく。そしてあろうことかこのポケモンに扮して plündern「略奪する、荒らす」という蛮行まで働く。もうぜんぜんついていかれない。どうしてこうなった?

じつは 2 行めの時点でおかしいところはあって、wie ein Mensch「人間のように」という部分だが、正しく英語を訳せていれば als Mensch「人間として」になるはずである (vgl. Er spricht als Fachmann.「彼は専門家として発言する」対 Er spricht wie ein Fachmann.「彼は専門家のような口を利く」)。つまり独訳者はこの時点で、このポケモンはあくまで人間ではないと一線を引いて読んでいるようである。あくまでポケモンはポケモン、中性名詞のままなので次の行でも es として出てくるわけだ。だが英語文からそのような解釈は不可能である。英訳の第 3 文頭は awakened という分詞 1 語であるから、この分詞の主語は主節の the human と同じであって、独訳のように副文と主文でべつの主語にはなりえない。ちょっとありえないような初歩的なミスだが、〈ポケモン=人間〉という事実が理解できなかったがために色眼鏡を通して読むことになり、無理やりつじつまあわせを試みてしまったのだろうか。

ここまでひどいとさすがに直らないはずはないので、『BD/SP』でどうなるか確認するのが楽しみである。せっかく修正する理由ができたのだから、ほかの文書もいろいろと見なおされるかもしれない。


フランス語版:Contes Populaires de Sinnoh, Partie 2

Il était une fois un Pokémon vivant en forêt.
En forêt, le Pokémon retirait son pelage pour s’endormir sous forme humaine.
A son réveil, l’humain enfilait le pelage du Pokémon pour arpenter les villages.
かつて森のなかで暮らすポケモンがいた。
森のなかでそのポケモンは毛皮を脱ぎ、人間の姿で寝入ったものだった。
目覚めるとその人間はポケモンの毛皮を身につけ、村々を歩きまわるのだった。

イタリア語版:Seconda storia popolare della regione di Sinnoh

Tanto tempo fa c’era un Pokémon che viveva nel bosco.
Nel bosco il Pokémon si spogliava della pelle per dormire come un umano.
Svegliatosi, l’umano indossava la pelle di Pokémon per vagare nei villaggi.
ずっと昔、森のなかで暮らすポケモンがいた。
森のなかでそのポケモンは皮を脱ぎ人間として眠っていた。
目覚めるとその人間はポケモンの皮を身につけて村々をさまようのだった。

スペイン語版:Historias populares de Sinnoh, Segunda historia

Érase una vez un Pokémon en un bosque.
En ese bosque, el Pokémon se despojaba de su piel para dormir como un humano.
Despierto, el humano vestía la piel del Pokémon para vagar por los poblados.
かつて森のなかにポケモンがいた。
その森でポケモンは皮を脱ぎ人間として眠っていた。
目覚めるとその人間はポケモンの皮を身につけて村々をさまようのだった。
さすがに短い文章だけあって、仏・伊・西とも英訳に忠実で変わったところはない。とんでもない暴走をしたのはドイツ語版だけだったようだ。


小括

  • この話はアイヌのカムイに関する観念をそのまま導入したもの。
  • ドイツ語訳があさっての方向へ暴走。修正に期待。


「シンオウ むかしばなし その3」についてはすでに過去の記事「ひとと けっこんした ポケモンがいた」で詳しく取りあげたので改めて繰りかえさない。ただ、上の「その2」で述べたことに続けて補足すると、「各地に伝承されている神謡のひとつに、カッコウのカムイが人間の姿になって人間の女性と結婚するという話がある」(中川前掲書 25 頁) そうである。