lundi 6 novembre 2017

Lomb『わたしの外国語学習法』,あるいは過ぎ去った時代の「実用書」

Lomb, C’est ainsi que j’apprends les langues, ou un « manuel pratique » dans les jours passés


10 年まえに購入し冒頭数十頁で読みさしのままほこりをかぶっていた,Lomb Kató, 米原万里訳『わたしの外国語学習法』(ちくま学芸文庫,2000 年) を今般読み終えた……と言いたいところだったが,10 年越しにまた続きをしばらく読み進めたところで本棚に戻した.これは私のような語学オタクのあいだではきわめて有名な本で,いずれ最後まで読まねばとずっと忸怩たる思いを抱きつづけて現在に至るのだが,あるいはもう残りのページを繰ることはないのかもしれない.読み終わったという体で感想を書くことにした.

著者はハンガリー人の女性で,すなわちその名前は日本人と同じく姓+名の順番であるからロンブが姓である.カトー (Kató) という名はカタリン (Katalin) の縮小形で,この後者は英語のキャサリンやフランス語のカトリーヌ (Catherine), ロシア語のエカチェリーナ (Екатерина) などに対応するから,さしずめ英語のケイト (Kate) やロシア語のカーチャ (Катя) くらいにあたる名前だろう.1909 年生 2003 年没 (享年 94),16 ヶ国語を習得した翻訳家・通訳者であるといい,そのなかにはなんと中国語と日本語も含まれている.

本訳書はもともとは創樹社なる印税を支払わない胡散臭い出版社から 1981 年に出たもので (この間の消息は文庫版訳者あとがきを参照),その原書は 1970 年に出て 72 年に第 2 版となった Így tanulok nyelveket: Egy tizenhat nyelvű tolmács feljegyzései (『こうして私は言語を学ぶ――ある 16 ヶ国語通訳者の覚え書き』),言語はハンガリー語である.以下,引用文およびそのページ表記はちくま学芸文庫版に依拠する.

ちなみに本国では 1990 年に第 3 版,95 年に第 4 版に改訂されており,現在は著者の没後 2008 年に別の出版社から「第 5 版」が出ているがこれは第 4 版のリプリントらしい.日本語以外には,私の知るかぎり刊行順にロシア語訳 Как я изучаю языки (1978 年),中国語訳『我是怎样学外语的』(1982 年) および『我是如何学习外语的』(1983 年),リトアニア語訳 Kaip aš mokausi kalbų (1984 年),ラトヴィア語訳 Par valodām man nāk prātā (1990 年),英語訳 Polyglot: How I Learn Languages (2008 年),エストニア語訳 Kuidas ma keeli õpin (2016 年),朝鮮語訳『언어 공부』(2017 年) が現れている.

さて『わたしの外国語学習法』というタイトルからは,いかにも語学の天才がその優れた習得法を開陳してくれている実用書を期待されるかもしれないが,これはむしろ著者の自伝的要素を含む語学エッセイとして読まれるべき本である.私のようにはじめから語学に強い関心と愛をもっている者ならともかく,これを読んで語学への苦手意識をなくそうとか手っとり早く語学を身につける方法を知ろうとかいった考えから手にとってはいけない.

これはいくぶんタイトルが誤解させている部分もあって同情するのだが,Amazon レビューや読書メーターなどで低評価の書評を書かれている人の多くは後者のような語学嫌いの人物なのだろう.もっとも,なかにはたいへん素直で善良なかたで,語学の学習に慣れていないがためにかえって著者の教えるあたりまえのことを新鮮に受けとめて感心している人もおり,そういう向きには純粋さを忘れないでいてほしいので私の感想のごときは読んでいただかないほうがいいだろう.

ともあれ初版 1970 年,すなわち半世紀も昔に出た本であるから実用書としてはさすがに賞味期限切れで,もともと具体的な学習法についての言及が少なくいまどきのハウツー本のようなレイアウトや軽薄な言葉づかいをとっていないということもさることながら,その少ない言及内容もいまや目新しいところはなく (それは半世紀のあいだにまさにこの本の影響で常識と化した部分もあろう),論証のため援用される「科学的」知識もさすがに時代遅れでその「科学」にはどこか 50–60 年代冷戦期の東側の国の香りがそこはかとなく漂うものであり,前世紀後半以降に誕生し台頭してきた第二言語習得論や認知心理学・認知言語学などの最新の知見はもとより望むべくもない.それこそそうした現代の「科学的」知見からすれば嘘となった事柄も含まれているであろう.

じつのところ,いみじくも著者じしんが明言しているのである,「そもそも教育法というものは、その時代の要求に応えるべきもの」であり,「それぞれの時代に注目を集め、評判となった学習法があったが、どれもその時代の社会の需要に応えたものであった」と (47–48 頁).このような本に対して,50 年後の時代のしかも違う国の社会の現状に即応した「学習法」を求めるのは酷であろう.言ってみれば本書はすでに,古きよき時代のヨーロッパの語学愛好者はどのような熱意を抱いて学習に邁進していたかということを知るための古典になった,つまりシュリーマンの古代への情熱と同列に叙せられる栄誉に浴するとともに過去の遺物ともなったのである.

そうして私のように多くの言語を勉強している語学オタクにとっては共感できる部分も多い名エッセイではあるのだが,そういった人はいちいちおすすめされなくても自然とこの本に出会って自分から進んでひもとき,学習法の説明では自分の実践してきたそれが間違っていなかったことに確信を深めたり,あるいは著者の熱心さに胸を打たれ自分もがんばらねばと勇気をもらったりするだろうし,具体的な個別言語に関する蘊蓄には感心してうなずきながら読むだろうから,こういう特殊な人向けの賛辞を書き連ねてもあまり意味はあるまい.そのためここではむしろ大きな難点をひとつ指摘しておこう.

外国語学習では羞恥心はなければないほどよいということを主張している著者であるから (とくに 230 頁の公式),私がこのように非難することもむしろよくぞ申したと笑って許してくれると考えて言うのだが,この著者が外国語に取り組む姿勢はまさに恥知らず」「厚顔無恥」という言葉がふさわしかろう.これはかなり辛辣な形容であるが,いまからその具体例を挙げていく.

まず,まだしもかわいらしいエピソードとして,25–26 頁では彼女が中国語の学習を始めたときの成りゆきを語っている.このとき著者は,年齢制限の規則にひっかかったために中国語クラスの受講の申込を受理されなかったのだが,数週間後それに気づいた彼女は大学構内をさまよい歩き,すでに始まっていたその授業の教室を探しだして無理やり飛び入り参加したという.立派な規則違反だし授業妨害だ.まえもって授業担当者に直談判でもしていればきっと通してくれただろうに.

こんなのは文化の違いとして理解できなくもないが,もっととんでもない話はこうだ.著者は無謀にも自分が勉強したこともない言語に関する翻訳や教授の仕事をたびたび請け負い,たびたび失敗している.たとえば 29 頁には次のような話がある:
それからは、スロバキア語とウクライナ語の文献の読解、翻訳とも無理なくこなせるようになりましたが、ブルガリア語には、ちょっと手こずりました。もしかしたら、とっつき方をしくじったのかもしれません。ある出版社の依頼で、非常に長い論文の翻訳に取り組む羽目になりました。それは政治文献で、わたしのスラブ諸語の素養を持ってすれば、楽に処理できるものと高を括っていたのです。ところが、結果は惨めなもので、わたしの翻訳したほとんど全三〇頁、編集者の手で書き替えられるということになりました。
彼女はこのとき,すでにロシア語・ポーランド語・チェコ語・スロヴァキア語・ウクライナ語を習得していたということをもって,向こう見ずにもブルガリア語の翻訳の依頼を受諾し,このような大失敗を喫したということである (せめてセルビア語あたりを学んでいればいくらか結果はましだったかもしれない).

その次の段落ではイタリア語でも同じことをしているが,このときの「曖昧模糊とした個所が多々あった」翻訳では「その文体の神秘めいたところが効〔ママ〕を奏したのか」,怪我の功名でうまくいったようだ (同頁).さらに重ねて,われらが日本語についても「ある化学薬品購入許可書」のことで,学習開始まえに「勇敢にも(そして軽率にも)その翻訳にとりかかってしまった」という (71 頁.ただしこの件のみ「仕事」とは明言されていない).

また 19–20 頁によれば,英語を学生たちに教えるという仕事をするにあたって,教科書のわずか 2 課さきを読んでおくという見切り発車なしかたで挑戦し,「今思えば、知識のあやふやな点は、わたしの意気込みと熱意で補われたのでしょう」とのたまっている.かく言う彼女は 81 頁で,終戦直後のハンガリーに現れ「急遽身に余る任務に据えられた」「即席アマチュア・ロシア語教師」の男性の教えかたにつき,ある単語の語形変化の理由を「慣用にすぎません」と答えた彼の不十分な「説明の仕方は、支持するわけにはいきません」と指弾しているのだが,準備不足な自身の英語教育では同じようなことをしなかったと誓えるのだろうか.ちなみにこの英語についてもやはり著者は例によって (というか時系列的にはこちらが最初だが)「薬学研究所の嘱託の仕事」で翻訳にも手を出し,「どうやら規準に沿わなかった」がために「当翻訳の主は、勇敢なり」とのコメントをつけて突き返されたとの由である (20 頁).

こんなありさまで語学の教師や翻訳家として仕事を受領でき,なおかつ何度同じような失敗をしてもその名前に傷がつくことがなく職が失われないというのだから,まったくうらやましいというほかはない.いまこんな無責任なことをすればあっという間に悪名は広がりまともな翻訳者として認められなくなるし,なにより「化学薬品」に関する資料や国際情勢に関わる「政治文献」など,専門的知識がないと危険である仕事が素人に任せられる余地はどこにもない.ちなみに彼女は終戦直後にソ連軍とのあいだの通訳としても働いているが,これも現在なら学習歴わずか 3, 4 年でしかも独学の人間に戦後処理の通訳を任せるなど無謀もいいところだろう.

こうして考えてみると,現代の視点から見ればこの著者が置かれていた環境はむしろ特異で恵まれていたとさえ言えると思うのである.そう,問題は環境であって,彼女じしんの語学的才能のことではない.要するに胆力さえあれば職業翻訳者・通訳者として出発でき,語学力はあとからついてくるということを実践できた最後の時代の証言者が彼女なのである.彼女の成功談がただに個人的才能や性格によるというだけなら心がけしだいで私たちにも活かせる話であるが,このように環境のほうが変化しているとなると私たちにはもはや真似できる可能性のない手法なのである.

一般的に言って,私たちの享受している条件は彼女の生きた場所と時代に比べればほとんどの点で「恵まれている」と考えられている.私たちは空爆に怯えながら防空壕のなかで辞書を引く必要などない.こと語学の学習環境ということに絞っても,私たちはいまや 100 を超える言語の入門書を日本語で読めるし,範囲を英語に広げれば文法書の手に入る言語の数は 1 桁上がる (そしてその英語の本も注文すればいつでも手に入る).各種の辞書に加えて,実地の生きた音声教材であるニュースやラジオのリソースもオンラインで瞬時に見つかるし,生身の社会においても外国人はそのへんをふつうに歩いており多くの言語において日本にいながらネイティブの語学教師に出会うことも困難ではない.

しかし社会の発展とともに職業の専門性はますます深化し,「○○語ができる・使える」と公称するためのハードルはロンブの時代とは比べものにならないほど高くなってしまったように見える.そうした翻訳家の職業意識もさることながら,電子的なデータベースの蓄積と機械翻訳の技術向上によって,人が自分の頭で「ちょっと単語や文法を記憶している」とか「適切な文献を選び自分で調べるとっかかりをもっている」とか程度のにわか知識は掛け値なしにまったくの無価値になった

いや,私じしんが勉強してきた数十の言語のどれをとってもその程度の能力しかもたない人間だからルサンチマンを含めて言うのだが,社会的には百パーセント無価値である.もしロンブのエピソード程度の水準でよいなら,私は少なくとも 20 の言語でいますぐ翻訳家として名乗りを上げ文法の教師として教壇に立つことができるが (ただし通訳は無理だと白状するが),それを実践しようものならたちまち笑いものにされことによれば訴えられるか,もっと可能性の大きいのは単純に黙殺されることだろう.また私は,断片的知識をあわせればおそらく 100 ほどの言語について,文字とつづりを見た瞬間にこれは何語だと判定することができる.この特技は数十年まえであればそこからなにをどうやって調べればよいかを方向づける決定的に重要な情報であったのだが,いまでは機械翻訳が自動判別してくれるのでなんらの意味もない.これは電卓の登場によって暗算の技能の価値が,またワープロの普及によって漢字の書きとり能力と字の達筆さの価値が下落したことに似ているであろう.

ロンブは言う,「わたしたちが外国語を学習するのは、外国語こそが、たとえ下手に身につけても決して無駄に終らぬ唯一のものだからです」(34 頁) と.バイオリンがちょっとしか弾けない演奏者は喜びよりも聴衆に苦痛を与えるし,医学をちょっとかじったアマチュアが医療行為を行おうとすると犯罪になるのに対し,彼女の考えるところ外国語だけは唯一そうではない分野だというのである.

そのとおりでありつづけたらどんなによかったか知れない.たしかに現在でも,海外旅行先で「ちょっと」現地の言葉を話して人々に喜ばれ自分もうれしくなる,という次元の話としては依然成りたっている.しかし彼女のように翻訳家や通訳者や語学教師として仕事になるか,つまり「アマチュアが社会的利益をもたらし得る」(35 頁) かという観点で言えばほとんど嘘になってしまった.こういう意味で私たちにわか語学愛好者は疎外されている社会に生きているのであり,この傾向は今後強まりこそすれ弱まることはありえず,いまやこの本の慰めと激励を文字どおりに受けとれる時代は永久に過ぎ去ってしまったのである.

古きよき時代は過去になり,いままさにその残響さえ消えてゆかんとしている.翻訳家や通訳者という職業は,完全になくならないとすれば一種の芸術家として生きつづけていくだろう.私たちアマチュアの語学愛好者は語学が「嗜好品」としての性格を強めていく来るべき時代に,いかにしてみずからの価値を擁護していくべきか,「古典」の教えを昇華して新たな生存戦略を模索していかねばならない.そのヒントはそれこそ「バイオリンがちょっとしか弾けない人」にありそうだが,道行きは明るくなさそうだ.もっともロンブの言うとおりなら外国語以外のすべての趣味はとっくにそのような境遇に置かれていたのであり,いまさら私たちが最後の聖域を取り上げられたとてふてくされている権利などないのだろう.

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