中山恒夫『標準ラテン文法』(白水社、1987 年) 第 19 課の解答例。今回でとうとう最終回となった。例によって同じ著者による解答つきの『ラテン語練習問題集』(白水社、1995 年、新装版 2009 年) と共通する文 (最後なので 2 ヶ所しかなかった:これは本書のほうが『問題集』より高度なため) や、さらに大元のラテン語著作の出典が発見できた場合には対応づけている。
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第 19 課
和訳
1. カエサルは敵たちに、彼らのもとへ逃げこんだとして奴隷たちを要求した。〔接続法過去完了 perfūgissent は部分的間接話法 (§79 [5]) で、著者の意見ではなく文の主語カエサルの主張であることを示している……といってもこれはカエサルがカエサルの言行を 3 人称で語っている本なので結局カエサルの意見なのだが (ややこしい)。原典は『ガリア戦記』I 巻 27 章 3 節改変。〕
2. ある人々にとって驚嘆すべきと思われることを、まったく無価値と思う人々があまりに多くいる。〔不定の主語の存在を言う接続法 (§79 [2] b.)。原典はキケロー『友情について』86 章。〕
3. 免れることを欲しない者が誰もいないほどの、ある種の悪いことがある。〔同上。原典はキケロー『弁論家について』III 巻 (11 章) 通番 41 節。〕
4. 私は受けた親切を忘れるような人間ではない。〔結果の quī (§79 [2] a.)。〕
5. なぜ君は私たちに怒っているのか、(私たち) から多くの親切を受けたというのに。〔譲歩の quī (§79 [4])。〕
6. 私たちは私たち自身のためには決してしなかったような多くのことを友人たちのためにはする。〔結果の quī。causā, grātiā にかかる語 (後置詞と考えるなら属格目的語) は人称代名詞の場合には所有形容詞を使うので女性単数奪格 nostrā (§64 C. [8])。〕
7. 元老院議員たちは、ハンニバルが生きていれば決して自分たちは陰謀なしに (=を受けずに) いないだろうと考えていたので、使節たちをビーテューニアに送った、ハンニバルを自分たちに引き渡すようプルーシアース王に頼むために。〔前者は理由の quī、後者は目的の quī。Hannibale vīvō は絶対奪格。futūrōs は esse 省略の不定法未来。出典はネポース『英雄伝』中の「ハンニバル伝」12 章 2 節改変。〕
8. 敵たちは投槍がそこまで届くところ以上に遠く (=届かないほど遠く) 離れてはいなかった。〔『練習問題集』XXIX 2. 12) と同文。〕
9. ルーキウス・ロースキウスをポンペイウスはふさわしいと考えていた、任務をもってカエサルのもとへ送り出すためには。〔目的の quī。〕
10. その人たちによって死なれるべきところの人たち (=死すべき人たち) だけが哀れであると言うとすれば、生きている人のうちの誰をも除外しないことになるだろう。〔moriendum は動形容詞で、関係代名詞 quibus はその行為者の与格。出典はキケロー『トゥスクルム論叢』I 巻 (5 章) 通番 9 節一部省略。〕
11. アリオウィストゥスは要求した、なんらの歩兵をも会談にカエサルが連れてこないようにと;両者とも騎兵を伴って来るようにと;ほかの仕方では自分は来るつもりがないと (言った)。〔nē の後で quem は aliquem の代わり。最後の不定法は直接話法で平叙文であることを示す。練 XXX 2. 1) と同文。出典は『ガリア戦記』I 巻 42 章 4 節一部省略。〕
12. アリオウィストゥスはカエサルに答えた:(以下のことが) 戦争の慣習である、勝った者がその勝った相手に対し欲するままに命令することが。〔出典は『ガリア戦記』I 巻 36 章 1 節改変。〕
13. ソークラテースの弟子たちは、先生が強情さを捨てるだろうと信じていた。〔不定法未来の書きかえ (§80 [3])。〕
14. ファブリキウスは、ピュルロス (王) の医者が自分は毒を王に与えるつもりだと約束すると、陰謀に気をつけるようにとピュルロスに忠告した。〔medicō ... prōmittente ... は絶対奪格。出典はセネカ『ルキリウスへの手紙 (倫理書簡集)』第 120 書簡 6 節改変。〕
15. もし君が質問されれば君は何を答えるであろうかと私は君に尋ねる。
16. もし君がそれをしてしまっていたら君は後悔していたであろうことを私は疑わない。
17. 友人は私に (手紙で) 書いてきた、もし (彼が) 病気でなかったならば、自分は手紙を私に書いていただろうし、自分の妹が自分の友人に嫁いだことを私に知らせていただろうと。〔過去の非現実条件文。(帰結文の後半は同様のため省略して) 直接話法に戻せば Scrīpsit : « Nisi aegrōtus fuissem, epistulam ad tē scrīpsissem. » で、言説動詞が完了のため副文は接続法副時称 (そのまま)、主文では未来分詞 + fuisse になったもの (§82 [1] c.)。〕
18. 父は私たちに言った、私たちはもし満足しているならば幸福な人生を生きるだろうと。〔現在の可能的条件文。直接話法に戻せば Dīxit : « (Vōs,) sī contentī sītis, beātam vītam vīvātis. » の接続法現在が、言説動詞が完了のため副文では時称対応で接続法未完了に、主文では不定法未来になったもの (§82 [1] b.)。〕
19. 先生は生徒たちに言った、もし仮に (彼らが) 勤勉であれば、自分 (=先生) によって美しい本が与えられるだろうにと。〔現在の非現実条件文を間接話法にしたもので、受動態のため futūrum fuisse ut + 接続法未完了 (§82 [1] c.)。〕
20. もし (彼が) 病気でなかったならば、もうとっくに手紙を私に書いていただろうことは疑いない。〔過去の非現実の能動が未来分詞 + fuerim になったもの (§82 [2])。〕
作文
1. Nātūra hominibus tālem animum dedit, quō animō omnēs virtūtēs accipere possint.
2. Ubiī ad Caesarem mīsērunt lēgātōs, quī ab eō auxilium peterent.
3. Rūsticī lupum, quī vīcum intrāvisset, quaerēbant.〔部分的間接話法の接続法。〕
4. Dīxit, sī potuisset, sē ad urbem itūrum fuisse.
5. Dīxit, quī vītam contemnere scīret, eum mortem nōn timēre.
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各回 2 課ずつ、ほぼ毎日のペースで続けてきたこの連載もこれにて無事に完結となった。10 日まえにこの本を始めたとき、このような答えのない教科書に指導者もなしに取り組むことは、まさに蛮勇を振るうという表現がふさわしく、最悪途中でやめてもいいつもりで挑戦に乗りだしたものだが、進めてみると意外にもあっという間に終わってしまった。楽だったのはもちろん直前に『練習問題集』をあげていたおかげであり、いわばその余勢を駆って本書に突撃したしだいだった。
これまでの課も含め、素人仕事でおそらくラテン語作文にはだいぶ頓珍漢なことを書いてしまったであろうことを恐れるが、和訳のほうについてはほぼすべて (とくに亀甲括弧〔……〕で解説らしきものをつけた内容を含め) 理解に自信をもって解答を与えてきたつもりである。とはいえどれほど本当に成功しているかは専門家ならぬ私には適切な判断をなしえない。本書第 18 課の解説のなかに出会う次の引用文は、私の拙い試みの自己弁護のためには高級すぎるであろうか:
Ut dēsint vīrēs, tamen est laudanda voluntās.
力は欠けるとしても、それでも意欲はほめられるべきだ。
(オウィディウス『黒海からの手紙』III 巻第 4 書簡 79 行)
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