mercredi 21 octobre 2020

樋口・藤井『詳解ラテン文法』練習問題解答 (9)

樋口勝彦・藤井昇『詳解ラテン文法』(研究社、1963 年、新装版 2008 年) の第 33 課から第 35 課までの解答例。最後の第 36 課には練習問題がなく、今回が最終回となる。が、今回第 33 課の最後に唯一完全に理解できない文が現れてしまい、解答を名乗るうえで忸怩たるものがある。もし説明できるかたがいらっしゃればぜひともコメントでご教示いただきたい。

ともあれ、中山『標準ラテン文法』の解答田中『ラテン語初歩』初版および改訂版の解答に続いて、この 3 点め (4 冊め) も一応のこと完結させることができて肩の荷が下りた気分である。まだ何点か作りたいものはあったのだが、さすがにラテン語には少々疲れてしまったので、しばらくはべつのことに取りかかりたいと思う。



XXXIII. quōminus と quīn


§150.


1. 裏切り者を憎まないような者は誰もここにいないと私は信ずる。

2. ローマ人が野蛮人よりも強いということを知らぬ者は誰もいない。

3. キケローは唯一の自分の祖国を特別に愛していたという点で抜きん出ていたことを疑う者はない。

4. ときどき間違えることがないほどに賢い者はほとんど誰もいない。

5. 痛ましく恐怖させられた兵士たちは逃げないように束縛された。

6. カティリーナよりむしろキケローに好意を抱かないような者はそのときローマに誰もいなかった。

7. なぜ私たちは不公平な法律によって幸福であらんことを妨げられるのか。

8. そのようなことを聞くとき、私はときに私たちがほかの時代に生きていたらと欲しそうになる (lit. 〜と欲することから少ししか離れていない)。

9. 私たちが昨日出帆することを嵐が妨げた。

10. 私は彼を恐れないではいられない。

11. 少女は恐怖のために歯ががたがたするのをほとんど自制することができなかった。〔dentibus は限定の奪格「歯の点で」か。〕

12. 私たちの (軍) が勝ったことに疑いはなかった。〔以前にも説明した、所有形容詞だけで「〜の仲間・味方」などを意味する用法。〕

13. 君のせいで私たちは逃げられなかった。この戦闘で私たちの (軍) は約 5 万人が死に、ともすればあの日が戦争に終わりをもたらすところだった。〔hoc proelio からは Herbert Chester Nutting (1872–1934) によるラテン語読本 Ad Alpes (1927 年) の XVII 章 80–81 行 (p. 100)。第二次ポエニ戦争におけるカンナエの戦いのことが話題になっている。nostri でなく nostrum だったら人称代名詞の配分の属格「私たちのうち約 5 万人」で話は簡単だが、nostri なのが悩ませる。これは所有形容詞の男性複数主格で perierunt の主語になっているはずである (現にその本の脚注にも ‘nostrī: nom.’ と書いてある)。しかし浮いている数詞は名詞扱いの milia なので nostri を直接修飾することはできない。逆にもし nostri が所有形容詞として milia にかかるなら中性複数主格 nostra でないといけない。残る可能性としては、circiter quinquaginta milia が全体として不変化の数詞扱いで nostri にかかっているのか、広がりの対格のように副詞的に働いているかのどちらかかと思う。泉井『ラテン広文典』329 頁に « Ad [Circiter] ducentas domos incendio deletae sunt. » という例文があり、ここで domos は前置詞の目的語として複数対格なのだが、ad ... domos の全体は文の主語として複数主格扱いとなり完了分詞が deletae となっているおもしろい文である。関係があるかはさておき、ここで circiter が対格支配の前置詞でもあるという事実が判明する (本書の単語集では副詞のみ)。とにかくこの文は本書の説明では理解できない。私には nostrum の間違いとしか思えないのだが、作文した Nutting がわざわざ注をつけて主格だと明言していること、それを引いた本書の著者らも問題を感じていないことに鑑みれば、なにかこういう用法があるのかもしれない。いずれにせよ文意は上のようにならざるを得ないだろう。〕


XXXIV. gerundium と gerundīvum


§154.


1. ハンニバルは船の数の点で凌駕されていた、それで彼は策略によって戦わねばならなかった。

2. 教えて、お姉ちゃん、私に歌の技術を。

3. 哲学者たちは討論することに時間を費やしていた。

4. もう子どもたちにとっては寝にいく時間だ。〔cubitum eundi は目的分詞 + eo「〜しにいく」の動名詞属格。〕

5. 彼の馬についてもあることが言われねばならない。

6. たしかに皇帝ネローはまったくほめられるべきでなかった。

7. アウグストゥスは都を飾ることを始めた。

8. ユピテルにたしかに最大の感謝がなされねばならない、すべてのことがこれほど順調に起こったから。

9. まもなくローマへ向けて私たちは進発せねばならないだろう。

10. ハンニバルは、これほどの勝利で持ちあげられた [高揚した] が、熟考の時間を要求した。

11. 多数の人間の力はかろうじて象一頭の力に比されるべきである。

12. 象たちが泳いで対岸に渡ったと伝えるような人たちがいた。〔nando は no「泳ぐ」の動名詞奪格。〕

13. 私と妻はクィーントゥスとともにより早くパラーティウムに行かねばならない、遅滞なく私の到着について皇帝が知らされるように。〔パラティウムすなわちパラティヌスの丘には歴代の皇帝の宮殿があった。〕

14. 健全な精神が健全な身体のなかにあるように願われるべきである。〔「健全な精神は健全な肉体に宿る」というスローガンでよく知られているが、「事実ある、そうなる」という直説法の主張でなく、「あるように」という接続法で「願われるべき」内容として言われている。〕

15. (彼女は) はじめはおそらく戦う [抗う] だろう、そして「不快な人よ」と言うだろう;しかし戦う [抗う] ことで自分が征服されることを彼女は欲するだろう。〔improbe は男性単数呼格。pugnando は動名詞の奪格 (se = illa は女性なので、動形容詞だとするには男性の te が足りない)。樋口訳「初めはおそらく彼女は抵抗するであろう。また『いやな人』というかもしれない。彼女は、しかし、戦うときには征服されたがるものだ」(平凡社ライブラリー版 48 頁);沓掛訳「はじめのうちはきっと抗って、『失礼な人ね』と言うだろう。だが抗いながらも、女は征服されることを望んでいるのだ」(岩波文庫版 46 頁)。〕

16. 日々は落ちては戻ってくることができる。私たちにとって、ひとたび短い光が落ちたとき、眠られるべきただひとつの永遠の夜がある。〔sol は「1 日」の意味でも使い複数になりうる。occidit は直説法現在と完了が同形でどちらともとれる。dormienda は女性単数なので、非人称の「私たちは眠るべきである nobis dormiendum est」と解することはできず、あくまで nox に一致している。なお柳沼重剛『ギリシア・ローマ名言集』ローマの部 10 番 (86 頁) に同じ章節がとりあげられており、あまりうますぎて学習者の参考にはならないと思うが、次のように訳されている:「お日様は,沈んでも,また昇れます.ところがわれわれのつかの間の光は,一度沈んだら,あとは一続きの夜を眠るだけ.」〕


XXXV. 接続法の一般的な意味 (2),非現実の願望・条件文


§158.


1. もし万一私が君たちにすべてのことを語ろうと試みるなら、私から一日がなくなるだろう。

2. いま冷たい泉から (水を) 飲むことができたなら。

3. 君たちが安全に到着したことを私は喜ぶ;だがもし君たちがすぐに私のところに来たのだったら、君たちはもっと正しいことをしたのだったが。—— もし私たちがあなたの家を知っていたのだったらそうしていたでしょうが。

4. 君が順調に進歩するなら、いつか本物の詩人になれるだろう。

5. 子どもたちは、もし許されていたのだったら、きわめて喜んで遊び [見世物] のなかで遊んだのだったが。

6. カエサルが最初にブリタンニアに到達したとき私がそこにいたなら。

7. もしおまえがより近くに近づいたとするなら、私はおまえの目をえぐりだすかもしれない。おまえは戦いたいのか。〔tibi は関与者の与格 (§90 (1))。〕

8. もし今日君がふたたび叫びを上げるとするなら、君は君の最大の悪 [不幸、災難] によってそれをするだろう。〔単語集で tollo は「乗せる,もち上げる」としか載っておらず、これでは正しく訳せるわけがない。malum についてもしかり、こちらは名詞としての立項はなく形容詞「悪い」の語義だけなので、「君」が極悪な邪心から (いたずらで?) 叫ぶとしか考えられない。〕

9. ハンニバルはおそらく、もし彼が急ぐことを欲したのだったら、都そのものを占領することができた。

10. 君は何を疑っているのかすぐに私に言うべきだった。

11. そしてもしそれがなされていたのだったら、こうしたことは決して君に起こらなかったのだったが。〔quod = et id.〕

12. 君が幸福 [順調] でいるかぎり、君は多くの友人を数えるだろう;時 [状況] が曇ったものになったら、君は孤独になるだろう。


XXXVI. Ōrātiō Oblīqua


練習問題を欠く。〔完〕

2 commentaires:

  1. nostriとcirciter quinquaginta miliaが同格、という解釈は可能でしょうか?

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    1. たしかに形としてはそれも可能かと思います。ただ私のあげたものに関しても同様ですが、いずれも決め手に欠けるというのか、配分の属格 nostrum のほうがどれよりも自然に思われるのになぜそう言わなかったのかはやはり説明ができませんね。

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